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Korea!2009/03/21

(カテゴリ:東北アジア研究

戦争中の日本軍の暴虐を考えれば、私は「謝罪する」という言葉を使いたかったが、私は彼らの真情を知りたかったので、できるだけ倫理的な判断から距離を置くために謝るとか、お詫びするという言葉を一回として使わなかった。私の思想も心情も彼らに通じ、彼らによって受け入れられたと私は今でも考えている。というのは、私は翌日の学生の出席者の数は減るのではないかと予想していたが、それは増えこそすれ減ることはなかったからである。最後の二日間は南開大学の元学長も続けて出席してくれたのである。
しかしそれは学生との意志の疎通である。日本軍に苦しめられた一般民衆や、日本軍と戦った軍人たちも代表する江主席は、日本人の歴史理解を曖昧にしたままで両国の関係を先に進ませることができないのは当然である。
(森嶋通夫『なぜ日本は没落するか』(岩波書店)第7章 ただ一つの解決策より。)

今この本を改めて読み返してみると、森嶋氏の構想といま私が抱いている構想は、力点の置きところが少しずれている。
森嶋氏と私が共有している点は、日本・コリア半島・中国文化圏の三者を「東北アジア」と定義して、これを「歴史的文化的にも近く、人種的にも近い隣国だから共同作業が出来る」(pp.155)と考えている点である。森嶋氏は、文化的つながりを共同体の基盤に置いている。ゆえに、宗教が違うベトナム以南の東南アジア諸国は、含まれない。ましてや、インド、ロシア、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドは、少なくとも経済共同体としての「東北アジア共同体」の枠組みの、外に置かれる。森嶋氏のこの域内における最終構想は、EUと同じ域内共通通貨である。この構想に、私は全面的に賛同する。

私と森嶋氏が違う点は、日本にイノベーションをもたらしうる隣国への焦点の当て方であり、ゆえに真っ先にアプローチするべき隣国の選び方である。森嶋氏は戦前に海軍に徴集された戦争経験者であり、あの戦争が中国への日本侵略から始まったことを、骨身にしみて知っていた。だから、彼の構想が、日本の社会経済を復活させるフロンティアを中国に他ならないと位置付けているのは、経験から導かれたものであると批評したい。
しかし私の意見は、真っ先に日本が求めるべきフロンティアは、コリア半島である。それは、私の経験から来る直感であり、そして二十一世紀初頭における両国の経済と民度の発展度合の近さ、それから両国の行き詰まった現状に対する最も効き目のある薬であると判断できる展望から、導かれたものである。いずれ両国は中国に向かって開かなければならないが、日本とコリア半島との差と、両国と中国文化圏との差は、いささか開きがある。
段階的な構想を持った方が、よいと私は考えている。政治的枠組みとしてまず三国共同体を作り、経済のすり合わせが必要な市場統合と通貨統合については、まず日韓で行い、中国は条件が整い次第、拡大するのがよいであろう。もちろん、中国にも大きなメリットがあることを実をもって示さなければ、かの国は乗ってこない。関税及び非関税障壁の撤廃、域内投資活動の自由化、域内雇用の自由化をスケジュールとして示しながら、日韓にとって懸案である食料品他の品質管理、雇用条件の向上、国際的犯罪防止システムの構築を、中国側に求めなければならない。その先には、かの体制に政治プロセスの民主化と、民衆に対する法の支配の貫徹と、広大な国内に住まうマイノリティー民族文化の真摯なる尊重とを、人類のために我々は促していかなくてはならない。

上の引用は、森嶋氏が中国国内の大学で講義した際の、経験である。森嶋氏は、中国学生の真意を聞きたくて、あえて謝罪の意を控えた。むしろ、「民族もまた発狂しうる」(pp.151)という説明を用いて、かの国の文化大革命と類比させ、倫理的判断を避けた。そうして、これからは過去と違って相互協力し合わなければならないことを、学生に向けて語ったのであった。「中国学生を一応納得させることに成功」したと、森嶋氏は講義の結果を判断している。
森嶋氏は、上の引用のとおり、日本が謝罪しなくてもよいと言っているのではない。
日本人の歴史理解を曖昧にしたままで、日中両国の関係を先に進めることはできない。「アジアへの侵略は弁解の余地がない。謝るべきです。それも心から謝れば、将来に向かって話し合えるようになる。」(1998.11.21付東京新聞夕刊における談話の引用。pp.157)
彼もまた私同様に、悪事については謝罪して、その悪事の原因を日本国が二度と起こさないように反省しなければ、将来の共同体建設を進めることができないと、考えていた。コリア半島について言えば、二度と秀吉のような侵略を起こさないことを誓い(私の友人の夕映舎氏は、秀吉の侵略を耄碌ゆえの誇大妄想だったろうと批評していた。だがその点については、私は別の意見を持っている。私見では、秀吉の海外征服事業は、元来信長のプランであったと、推理している。)、大切な隣国を植民地化した過去に痛恨を感じて詫びる必要があるだろう。2002年9月、当時の小泉首相はピョンヤンにおいて、「植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛をあたえたという歴史的事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明」した。

では、2002年9月以降、日本の隣国に対する姿勢に、何が足りないのか?

答えは一つ。
将来に向けた、具体的なプランである。
日本の持てる力を、地域の繁栄と、民の幸福と、戦争と圧制の恐怖から和らげる救済に向けて、ひたむきに汗をかく努力である。この努力が日本政府と日本社会に何一つ見えないことが、韓国も、中国も、いまだに批判の手を休めない、口実となっているのだ。結局、口だけかよ。そうだ、口だけなのだ。あんたらとは、関わり合いたくないの。私は、米(アメ)さんに恋して、頼って、尽くしてるの。あんたらなんか、嫌い。
小泉首相の日朝宣言後の北朝鮮や韓中に対する強硬姿勢、その後を継いだ安倍首相の輪をかけた強硬姿勢。これは、明らかにアメさんへの色目であり、そして己の選挙基盤の反アジア的意見に、引っ張られたものである。自民党外交のこの方十年は、東北アジア構想を大きく後退させてしまった。インド、ASEANと提携、、、?そんな迂遠な外交が、日本社会を救う特効薬になるとでも、思っているのか。北朝鮮核協議を踏み台にした、六国共同体、、、?それは安全保障であって、安全保障ももちろん大事であるが、経済と社会の行き詰まりは、安全保障では解決されない。日本人をもっと幸福にするプランを、どうして考えないのだろうか。考えない政治家は、政治家とはいえない。政治屋。いやさ、テクニックで顧客の無理難題をゴリ押しして通す、「政治師」とでも呼ぶべきであろう。