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『近世儒教の発展における徂徠学の特質並にその国学との関連』丸山真男(つづき2)

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「こうした歴史的=場所的に制約された人格の創造した道が何故しかく尊崇に値するのか。徂徠学は、儒教的思惟の殻内から一歩外に踏み出て問題を考える余裕を持つ者を必然にこの疑問に誘致する」(p270)

振り返ってみれば、徂徠の作業は江戸時代最初の一世紀後半にすでに始まっていた、朱子学の自然的・普遍的・客観的・絶対的な「理」に人間の理想を全て結びつける、自己完結したリゴリズムを解き放ち、天道と人道を切断し(仁斎)人間の善悪は情念の程度の差であるという結論に至り(仁斎、益軒)、その後に表れた、一切の仁道とは政道であり、いにしえの聖人が制定した人間秩序繁栄のための礼楽刑政の法規制度である、という結論を導き出したことであった。ここに、儒者が聖人の文献を読む価値は、ただ現代の政治制度の参考として古人の智慧を尊崇する、という点にすぎなくなる。

この徂徠の見立てが、なぜまがりなりにも説得力を持ったか?

それは、徂徠の生きた江戸幕府は、たまたま六経に記録された周代封建制度に非常に類似した制度を形成していた、ということに尽きる。ゆえに、徂徠の信仰の基盤は、日本の限定された時代にしか通用しないものであった。中華帝国や李氏朝鮮では、儒教は中央集権王朝の士大夫のための学問でなければ説得力を持ちえず、だから朱子学なのであった。日本の国学は、すでに陳腐化・停滞していた徂徠学派を転覆させるために、徂徠の儒学は中国皇帝のための学問にすぎない、という当然の疑問を投げかけたのであった。二一世紀現代の社会においては、当然ながら徂徠のように六経を尊崇する基盤はない。六経から政治改革論議を行うことは、もはやできない。

ひるがえって現代の政治改革をホッブス・ルソーから論議することは、どうであろうか。我々がこれらを論議するとき、それは果たして民生の安定のために論議しているのであろうか。たいていの政治学者や社会思想家は、そのような論議をしない。むしろ、人類普遍の価値の実現という相から論議している。徂徠が間違っていてルソーが正義である、ということは、果たして普遍的な物言いであろうか。

「(徂徠も宣長も)ともに重点は文芸の倫理・政治よりの解放に置かれて居り、第二義的にその政治的=社会的効用が言及されている点、両者は全く思惟方法を等しくしている」(p288)

宣長が漢意を邪としてやまとごころを正となした方法は、儒学の逆張りである老荘思想と思想的立場としては同位相であり、また啓蒙思想の逆張りであるロマン主義と同位相である。個別を重んじ、歴史の諸時代が等しく価値あるものという視点を持ち、政治的イデーに一方的な正義を与えることへの懐疑的視点を持ち、文芸に人情を理解する効能を認める視点は、戦後民主主義にまで影を落としているが、これはすでに日本では宣長の視点に含まれている。宣長にあって戦後民主主義にないのは、日本を顕彰して日本以外の価値を第二義的に置く、エスノセントリズムである。いったい戦後日本が非エスノセントリズム教育を疑問なく行うことができたのは、ひとえに冷戦構造のおかげであった。今、戦後教育に「自虐史観」として疑問が出され、知識人たちの揶揄に反して民衆レベルの感覚で勢いを得ているのは、日本の置かれた位置づけの変化の徴候である。