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『ダホメと奴隷貿易』K.ポランニー

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栗本・端訳書では、『経済と文明-《ダホメと奴隷貿易》の経済人類学的分析』であるが、これは売らんがためのタイトル変更であろう。本タイトルは、そのまんまである。それに、ポランニーはダホメ王国を、本気で理想の非市場社会と捉えていたのであろうか?ダホメ王国はよく機能していたかもしれないが、現代人から見れば異様で残酷な国家であることは、言を待たない。これは確かに現代人のエスノセントリズムであるが、ここから逃走して、ダホメとかアズテクとか殷帝国とかの残酷に共感できるのは、それこそ知的エリートと変態的ロマンチストだけではなかろうか。以上の懐疑的意識を持って、読んでいきたい。

-歴史上のダホメ経済についての研究は、極端に集中化した官僚制が地方的生活の自由さや自主性を両立させることを可能とするという点で、現代人を感嘆せしめることだおる。また外国との貿易行政が権力主義的な君主制を背景に計画される一方で、〈ブッシュ〉すなわち田舎では大きく国家領域の外側にある社会組織を維持している。身分の低い者が住み、世襲の屋敷地がリネジの耕地や相続権を定められたアブラヤシの樹に囲まれている村落は、中央政治の活動から除かれている。(p24)

古代中国社会も、同様だったのではないか。孟子が想定する井田法などは実際には存在せず、対外貿易で富を蓄える中央の官僚組織と、ほぼ自然的自治のままに残される邑とが並存していたのではないか。この事態は、春秋時代末期まで続いた。春秋時代末期になって、子産などの中央集権改革者が、おそらく徴兵の必要性から、自然的村落に中央官僚の管理を及ぼそうとしたのではないか。孔子の三桓攻撃も、この中央集権への動きで捉えるべきであろう。戦国時代には、村落から文字通り「血税」を徴兵によって吸い上げるシステムが登場した。これは、おそらく魏や秦などが開拓した新田の農民を対象としていたのではないか。孟子の井田法は、結局のところ徴兵・労役の必要が生じた戦国時代の実情に合わせた農村管理システムであり、それを三代の古制であると錯覚した提案だったのではないだろうか。
この徴兵制を完成したのが秦帝国であったが、それは余りにも中央集権がいきすぎたシステムであったために自然村落からの反乱を招いて、短期間で崩壊した。続く漢帝国は、自然村落をある程度残しながら中央集権の網をかぶせる、後世に続く中華帝国の妥協的制度に結果したのではないか。