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『国家論』佐藤優(再読)

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「このように、ナショナリズムの中には基本的に認識の非対象性が孕まれている。ネーションをめぐるこの論理を前提とすれば、結論として国家間にはたいへんな亀裂が生じるしかありません。だから、ネーションの論理と極力違うところで議論をするしかないのです。ネーションの論理をふまえて、『慰安婦』問題や原爆の問題を他国と議論した場合には、結局は国家として強いほうの見解が流通することになり、弱いほうは負けてしまう。」(p166)

そういえば、9.11の後でタリバンのスポークスマンが、アメリカの非道についてヒロシマを挙げていた。日本人は、皆ポカンとしながら聞いていたはずだ。彼らは、反アメリカの理として言及していたのであるが。

日本の道は、
・ネーションの論理で勝つように世界世論のフレームを変える?-これは、困難で薮蛇になりかねない。
・ネーションの論理を超えた普遍性を主張する戦略を立てる-これが、正攻法であるはずだ。だが拉致問題を人権問題として取り上げるのであれば、国内の人権問題、マイノリティ問題について本気で取り組まなければ、何の説得力があるか?自ら相手国より数層倍努力することによって、相手に説得力で圧迫しなければならない。

ゲルナーのナショナリズム定義による、ナショナリズムで鍵となる特性
・同質性
・読み書き能力
・匿名性(下位集団をほとんど持たず、全員が直接的に集団に結びついている)
つまり、産業国家が登場しなければ、ナショナリズムの発生条件が成立しない。
ナショナリズムは、想像の上での連帯意識を高揚させる。よって、資本が貫徹したアトム化社会において、たやすく要望されて普及する。

柄谷によれば、帝国間からキリスト教などの普遍宗教に庇護されるかたちで都市が出てきて、その都市の中に未来のアソシエーションを先取りするかたちでの、コムーネ(共同体)がきてきたということです。(p198)

国家の強制力を伴う交換の保証・略奪の禁止がある。これは、国家の内部である。
国家の強制力の隙間で交換の保証・略奪の禁止がいかに行われるか。それには、「悪いことすると神様からひどい目に会わされる」「悪いことすると集団から指弾されて恥さらしとなる」というような、超越的な倫理が共有されることが必要となる。ここにアソシエーションの展望があり、社会の強化されるべき力がある、と柄谷・佐藤氏は見ていると思われる。