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『世界史の構造』柄谷行人

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「だが、今回、生涯で初めて、理論的体系を創ろうとしたのである。私が取り組んだのは、体系的であるほかに語りえない問題であったからだ。」(序文より)

「ニーチェは、罪の意識は債務感情に由来すると述べた。」
「贈与することは、贈与された側を支配する。返済しないならば、従属的な地位に落ちてしまうからだ。」(p19)
戦後の中韓-日本関係は、中韓側からの贈与の感情(日本側の債務の感情)によって安定していた。
これは、互酬の輪の関係であった。
中韓は、いまだにその関係が持続するべきものと観念している。
しかし、日本の側が変化した。日本は、債務を支払ったので対等である、という観念が現在支配している。
ゆえに、中韓と日本との関係が険悪になっているのである。すでに互酬の輪が切れているのであるから。

「ギリシアでは都市国家が統合されずそのまま残った、、、それはギリシアが文明的に進んでいたからではなく、むしろ逆に、氏族社会依頼の互酬性原理が濃厚に残っていたからだ。それがギリシアに民主主義をもたらした原因の一つである。」(p34)

中国は、戦国時代に官僚制と常備軍を完成させた。中華帝国は、小都市国家群であった春秋時代初期にあった邑の拡大形態にすぎなかった互酬性を喪失した、むき出しの暴力により支配する国家となった。その移行期であった春秋時代末期、孔子は春秋時代初期の国家像をノスタルジア的に復古させることを試みた。孟子は、すでに官僚制と常備軍を揃えた戦国期国家群に対して仁義の原理に基づく王道政治を行うべく主張して、「想像の共同体」を国家が備えるように諸国の王に進言したのである。

「集権的な体制を確立するためには、支配階級の間にある互酬性をなくすことが不可欠である。それによって、中央集権と官僚制的な組織が可能になる。」(p36)

孟子は、中央集権国家が登場した時代において、(1)仁義による王道政治を説いて、王に「民の父母」となるように薦め、「想像の共同体」を作ることを目指した。(2)君主と家臣との関係を友の関係として説き、君臣の関係を「義」の関係として捉え、つまり朝廷内で互酬性が失われてはいけないと力説した。
このうち、(1)のプログラムは漢代以降達成された。
(2)のプログラムは、ほとんど忘れ去られた。早川氏の指摘するところによれば、宋代の朝廷内では若い官僚が言官に就いてベテランを批判して突き上げ、やがてその若い時期に上を批判した官僚が上に進む、という上下の互酬性を伴うシステムがあったという。これは君臣の間の互酬性ではなく、官僚間での互酬性である。君主そのものは雲の上にいってしまって、一切の批判ができず、互酬性が失われていた。

「アニミズムとはいわば、世界に対して『我-汝』という態度をとることである。」(p78)

子貢、人を方す。子曰く、賢なるかな賜や。我暇あらず。

孔子は、対象をモノとして語り始めた時代の趨勢に、違和感を持っていたのではないだろうか。
すべての制度、人、草木にはアニマがある。道具として用いることをしてはならない。
しかし、制度を語ろうとしたとき、アニマに目をつぶって、モノとして対象化しなければならない。
モノとして人物を批評する賢人の子貢に対して、孔子は不満だったのではないだろうか。
これが孟子になると、アニマを感じなくなり、全てが批評の対象となってしまう。