« 『世界史の構造』柄谷行人(つづき) | メイン | 『世界史の構造』柄谷行人(つづき3) »

『世界史の構造』柄谷行人(つづき2)

(カテゴリ:

p231、孔子を普遍宗教として捉える柄谷氏の説明。

「先ず、孔子が説いたのは、一言で言えば、人間と人間の関係を「仁」にもとづいて立て直すことである。仁とは、交換様式でいえば、無償の贈与である。孔子の教え(儒教)のエッセンスは、氏族的共同体を回復することだといってよい。もちろん、それは氏族的共同体を高次元において回復することであって、たんなる伝統の回復ではない。特に、孔子の思想におけるその社会変革的な面は、孟子によって強調された。しかし、現実には、儒教は、法や実力によってではなく、共同体的な祭祀や血縁関係によって秩序を維持する統治思想として機能した。」

孔子の思想には、二面性、いや三面性があった。
一面は、氏族的共同体の倫理、すなわち朝廷内での互酬性の維持&成文法によらない伝統的慣習によるゆるやかな統治を理想とする、回顧的理想。
二面は、仁義という氏族共同体の範囲を超えた普遍的倫理により、新しい互酬共同体を目指そうという、千年王国的理想。
三面は、拡大していく官僚制古代国家に対して有効で慈悲深い統治術を適用し、そのための理論を構築しようとする、福祉国家的法治国家を目指す理想。

孟子は、堯と舜とが君臣でありながら友人であったというエピソードを取り上げて、君臣の関係が主人と奴隷の関係でないことを強調しようとする、一つめの面があった。他方、君主に民の父母であれ、人民の生活を安定させる福祉国家を目指せ、と王に説き伏せ、三つめの面を追及しようとした。三つ目の面のうち、しかしながら、法治については、その態度はあいまいである。

墨子は、葬儀、音楽を否定し、家族関係を否定し、つまり伝統的文化を価値がないものとして捨てて、ただ対等の人間の間が兼愛することが理想の社会を作ると説いた。すなわち、孔子の二つめの面をラジカルに追及した思想家であった。墨家の運動は千年王国的な行動主義であり、国家を構築するという三つ目の面の課題についての意識は全く欠落している。

荀子は、一つめの面を不合理であるとして、完全に捨てた。二つ目の面については、それは君主が作った「礼」の制度の中で実現される、と説くことによって、全ての課題を三つ目の面に集約させた。これは、古代国家のイデオロギーに完全に適合するものであった。その後を受けた韓非子・李斯は、荀子から儒家の仮面を剥ぎ取って、古代帝国の統治術に一本化した。漢代武帝時代に復活した儒教は、完全に荀子の立てた課題に応じた福祉国家へのすすめになってしまった。