※講談社単行本で読む。
「柳田國男が昭和になってから常民と名づけたものは、けっしてcommon peopleではなく、右のような価値転倒によってみえてきた風景なのである。」(p34)
最近でも繰り返されている。ヲタク文化をアカデミックに語ろうとする東浩紀らは、柳田の作業をまた反復している。
「いうまでもないが、言文一致は、言を文に一致させることでもなければ、文に言を一致させることでもなく、新たな言=文の創出なのである。」(p42)
「時枝誠記がいうように、日本語は本質的に『敬語的』なのである。」(p49)
「いわく」「のたまはく」を分けることは、日本語だと重大である。この重大さは、同じ敬語を一応は備えている韓国語の話者であれば、ある程度分かるであろう。しかし、敬語のない漢語、あるいは西洋語の話者には理解できない。
「この姿勢は、午前中に小説を書き、午後には漢詩や山水画の世界に浸っていた晩年の夏目漱石と共通している。おそらく、彼は『文学』とけっしてなじめないものをもっていたのであり、また『表現』を拒絶する視点をもっていたのである」(p82)