「この唐突な、飛躍をともなった理念の提示は、性理学(朱子学)の同一的な思惟と言語の外側に出た仁斎古義学がもたざるをえない言語的特質である。」(p340、第四章注6)
朱子学は一つの哲学的体系である。体系に則れば、条理を立てた説明はできる。しかし、論語の古代テキストを後世の説明抜きに読む、という古義学の立場に立てば、論語の古代漢文には体系など(予感はできても)存在しないことを認めずにはいられない。だから、飛躍によって語るしかない。どうとでも読めるし、どう読んでもよい論語の誕生である。渋沢栄一氏も、吉川幸次郎氏も、山本七平氏も、貝塚茂樹氏も、この地平に立ってめいめいに読んでいる。