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『江戸思想史講義』子安宣邦

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故に名なるものは教への存する所にして、君子これを慎む。孔子曰く、『名正しからざれば則ち順ならず」と。(徂徠、『弁名』)

上の子路篇三の「名」を、徂徠は名の定義として扱っている。通常のこの条の「名」は名分、すなわち君臣の秩序のことを言っていると解釈される。だがしかし、そんなことにとどまるのであろうか?むしろ、徂徠の解釈のとおり、これは「名」の定義を明らかにする、という意味ではないか。すなわち、後世の荀子が形名篇で漢字キーワードの定義を行った作業と同じことを孔子は言わんとしていたのではないか。漢字は一文字一文字が意味を持つ表意文字であり、西洋語や日本語のように語に解釈から解釈を連ねて意味を正していくことが、本来的に困難である。だから、文字が提出されれば各人がめいめい違う解釈をすることが、容易に起こってしまう。孔子は、政治家として法令・命令の用語を厳密に定義することによって行政のあいまいさに終止符を打ち、それを通じて国力を増大したい、と言ったのではないか。そのことの重要性が子路には分からず、迂遠なことだと思わせたのでなかろうか。律令制度が整備された後世の視点から見るから、「名」を名分だなどという解釈が当り前のように支配するのである。

「孔子の『天命を知る』の言によって、己の人生に運命として負託された課題を深く省みる言葉を思い入れ的に語ったりするのは、まさしくそれは〈人間が主題化された時代〉にあるものの解釈であるだろう。しかしその〈人間の時代〉とは、むしろ、人間孔子を『論語』テクストの背後にとらえるような読み手の出現とともに成立するというべきだろう。」(p116-117)
子安氏はこのくだりの注にフーコーを置く。そして脱構築という言葉を多用する。フランス現代思想は、歴史や文化の意義を重視するドイツ的思考態度に対するフランス側からの違和感(あるいは圧迫感)から、歴史などない、重視すべき文化などない、という価値相対主義の刃による異議申し立てであったといえはしないだろうか。その態度が、冷戦構造の下政治的なオルタナティブがありえず、しかし経済だけは世界一繁栄していたという戦後日本の与えられた情況にマッチしたと総括できないだろうか。いうまでもなく、この戦後的状況は、冷戦の終了によって潜在的に揺らぎ、そして佐藤優氏の言う「新しい帝国主義時代」の到来によって、完全に砕け散ってしまった。今や、前の時代の脱構築をそのままで貫徹するとすれば、日本という場が侵略解体されても平然としているべきであろう。これは、すでに庶民レベルで違和感がある。違う思想的立場が必要ではないか。