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『トランスクリティーク』柄谷行人(つづき)

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「たとえば、普遍的な道徳法則によって生きる者は、現実には、悲惨な目に遭うだろう。人間の不死と神の審判がないかぎり、それは不条理に終わるほかない。だから、カントはそのような『信』を、統整的理念としては認める。ただそれを理論的に証明するような試み(形而上学)を拒絶する。」(p81)
たとえばハーバーマス氏は、モダニズムの魅力を統整的理念として信じているから、進歩主義者の立場を取り続けることができる。
柄谷氏は自分で唯物論者と言っているが、資本-ネーション-ステイトの輪を乗り越える革命のために統整的理念=普遍宗教が必要だと結論づけずにはいられない。アンビヴァレントである。

「『教える-学ぶ』という非対称的な関係が、コミュニケーションの基礎的事態である。」(p105)
国家-資本-ネーションの「交換関係」もコミュニケーション論として捉えることができる(佐藤優)。
教える-学ぶの関係には、常に常に命がけの飛躍がある。
比較的スムーズに交換関係が受け取られる方向に、社会はややもすれば流れるであろう。それは、スムーズに「学ぶ」をしない側とのコンフリクションを生む。日本の在日外国人、沖縄。韓国の在韓外国人、僑胞、脱北者。中国の非漢民族、宗教。

「スムとは、そうしたシステムの間に『在る』ことである。哲学において隠蔽されるのは、ハイデガーがいうような存在者と存在の差異ではなくて、そのような超越論的な『差異』あるいは『間』なのであり、ハイデガー自身がそれを隠蔽したのである。」(p140)
場所が、思想を作る。今ここにあることが自明でない立場にいると、思想の構造が見えてくるといえようか。