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『世界公民的見地における一般史の構想』カント

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(岩波文庫で読む)

「およそ被造物に内具するいっさいの自然的素質は、いつかはそれぞれの目的に適合しつつ、あますところなく開展するように予め定められている。」(第一命題)

柄谷氏は、この命題を信ずるものである。(人類は結局進歩する。)
佐藤氏は、この命題を信じていないようである。(人類の歴史は同じことを繰り返している。)しかし、佐藤氏はシニシズムではないようだ。今ここに生を受けたことに意味を見出し、出来る限りのことを行うという倫理的態度。

非社交的社交性が、「道徳的善悪を単純に区別する粗大な自然的素質を、時と共に一定の実践的原理に転化し、また最初は感性的強制によって結成せられた社会を、ついには道徳的全体に転化しうるような思想を形成する端初となすのである。」(第四命題)

柄谷氏のテーゼに従うならば、非社交的社交性が共同体の互酬の枠から解放されるのは、世界-経済においてである。そして、資本がオートポイエーシスとして自律的に増殖し、共同体を解体し、非社交的社交性を世界的に解放するのは、産業資本主義時代以降である。このとき、「感性的強制」に縛られた人間は大量に解放される。「道徳的全体に転化しうる思想」が起こる自然的条件ができあがっているのだろうか。

「それだから外的な法律に保護されている自由が、反抗を許さぬ権力と、およそ可能な限り最大の程度に結びついているような社会、すなわちあくまで公正な公民的体制こそ、自然が人類に課した最高の課題なのである。」(第五命題)

すなわち、世界共和国である。

正しく統治する政府の実現に向けて必要なのは、正しい認識、豊富な経験、善意思。「またいつか一致しえるにしても、それはけっきょく無駄骨折に終わった試みを何遍か重ねたうえのことであろう。」(第六命題)
失敗を繰り返し、悲惨を通り抜けて、反省の後に進んでいく人類。宇宙人から見て地球人は評価されるだろうか?とまで言うカントの遠大な構想。

「世界は、最高の智慧が展示される大舞台である、そして人類の歴史の成就を旨とする自然の目的は、この大舞台において特に重要な部分を占めるはずである。」(第九命題)

カントですら、このことは人類史への期待である。必ずそうなる、とは言い切れない。