歴史検討部分は広松とほぼ重なっているように見られるので、最終章だけ読むことにする。
竹内好「方法としえのアジア」
溝口「方法としての中国」
「戦争を通じて超克されるべき近代とは、ほかならぬ戦争をする己れでもあることを、この超克論は終始隠蔽する。昭和戦前期の超克論は、まぎれもなく帝国主義国家として近代を達成している日本を隠蔽することの上に作られる論理である。」
「だが二一世紀の現代アジアにおいてこの思想戦jは成立するのか。ここで溝口の『方法としての中国』という超克論に戻っていえば、『中国の独自的近代』をいうことはただ現代国家中国を弁証する修辞をしか構成しないのではないか。それはすでに世界を包括する現代資本主義の論理がその肥大した病理をもって深く侵してしまっている現代中国の現状をただ隠蔽するだけではないのか。」(p248-249)
子安氏は、溝口氏のいう中国独自の歴史という主張が、戦前わが国が帝国主義戦争を隠蔽するために主張した日本の世界史的使命論を、対象を日本から中国に変えて焼きなおしているにすぎない、と批判している。他方、竹内好氏が中国の近代化を「本当の近代化」として見る視点は、それが帝国主義による抑圧の中から自由・平等の要求を内発的に起こした点にある。要は、竹内氏にとって中国である必要はみじんもないのであって、それがアフリカであろうがインドであろうが中南米であろうが、全て共通に抑圧された民衆が自発的に近代を求めようとした運動なのだ。だから、「方法としての中国」と言ったのである。
つまり、竹内好氏、そして竹内氏を肯定して溝口氏を批判する子安氏は、講座派である。現代中国に向けては、それが近代化の価値を閑却してグローバル資本主義の悲惨から目を背け、中国の独自性などとうそぶき帝国主義に傾斜する姿を、近代化を価値とする視点から批判することとなるであろう。
「私は戦争をしない国家としての戦後日本の自立こそ、わずかにこの抵抗線を引く資格をわれわれに与えるものだと答えたい。その非戦的国家への意志を、われわれは六〇年にアジアの自立的安全保障への意志として示したのである。」(p253)
こうして、子安氏が柄谷氏の図式化する資本-国家-ネーションの強固な環が動かす世界史の運動について、どれだけ洞察を持っておられるかはよく分からないものの、結論としては柄谷氏に近いところに落ち着く。日本は、前の戦争という誤りを反省した上で、非戦という進歩を世界とアジアに価値として提出しなければいけない。日本の独自的歴史も、中国の独自的歴史も、認めない。
佐藤優氏は、日本の独自的歴史も、中国の独自的歴史も、認める立場にある。ゆえに、ヘゲモニー国家が消失した二一世紀の現代は、複数の絶対が相打つ帝国主義の時代であることを認め、日本としては中国と賢明に対立するより他はないと言うのである。