« 『トランスクリティーク』柄谷行人-再読 | メイン | 『論語』湯浅邦弘 »

『トランスクリティーク』柄谷行人-再読(つづき)

(カテゴリ:

日本の公民教育の問題は、民主主義が必ずしも最良無謬の制度ではない、ということをきちんと教えないことだ。それだと、ボナパルティズムを疑うことができない。

現在、私は柄谷氏や佐藤優氏を、人生を歩んできた人間としてトータルに評価したいと思っている。
これは、これまでの私にはなかった視点である。
論語の面白さは、ここにあるのではなかろうか。
よく読むと、若い時期にへまをやらかした孔丘、50代になって突如天下周遊をやらかした酔狂な孔丘、60代になって夢破れて時代の変化を違和感を持ちながら、大人として尊重される立場になってそれ相応に楽しもうとした孔丘、という人間的変遷が見える。これが、近年愛されている源泉なのでは?

今の時代の教育には、テーゼとアンチテーゼを、早いうちから両方教えるべきではないだろうか。民主主義にも、大人の世界で両者の意見がある。そして、両者にも一理があるではないか。どちらが正しいかを選ぶことによって、しっかりした教育ができるのではなかろうか?