« 『世界史の構造』再読(つづき) | メイン | 『トランスクリティーク』柄谷行人-再読(つづき) »

条里制・井田制

(カテゴリ:

「条里プランの起源を班田収授制に求める説はほぼ否定されている。現在の有力な説は、墾田永年私財法の施行で盛んとなった富豪や有力寺社による農地開発(墾田)の急増が条里プラン成立の起源であるというものである。」(Wikipedia、『条里制』より)

この研究成果は、古代中国土地制度史において、示唆的である。
すなわち、日本の条里制は班田収受によって整理されたものではなくて、新規に増加した荘園田を管理するために導入された能率的区画整理である。

中国戦国時代、魏・斉・秦などで大規模な新田開発が行われて、その人口と財政の急増が戦国諸国の戦争と人材収集の資金源となったはずである。
そのような新田は、全くの国家計画・国家管理の人口村であったはずで、そこに孟子が言う井田法に近い条里制が導入されていた可能性は、高いと思われる。
もし井田法のような区画制が三代であったとするならば、それは国家が所有する戦争奴隷を働かせた公田に制定された特殊なケースだったのではないか。周ならば、殷王朝の遺民を農奴として新田に投入して財源とした可能性がある。

戦国諸国が自ら開発した新田を課税と徴兵を能率的に徴収する資本として見ていたことは、確かであろう。孟子は、ここに啓蒙専制君主のように最低限の文化を導入せよ、と主張したと言えるのではないか。孟子の主張は、いちじるしく上からの農村管理の考えがある。その考えは荀子・韓非子においてさらに強化されて、始皇帝と李斯の統制経済政策に至る。彼らの国民統制政策は、ナチスドイツやスターリンソ連のそれと、きわめて類似している。