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『三酔人経綸問答』中江兆民

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明治六年十月 政変、西郷、江藤、板垣、副島下野 (昭和25年、コミンフォルム日共批判)
明治六年十一月 内務省設置
明治七年一月 民選議員設立建白書 (昭和26年、サンフランシスコ条約、5全協)
明治八年 『文明論之概略』
明治十年 西南戦争 (昭和34年、安保闘争)
明治二十年 本書刊行 (昭和39年、東京オリンピック)

明治二十九年 『舞姫』 (昭和48年)
明治三十一年 国木田独歩『武蔵野』 (昭和50年)
明治三十八年 『我輩は猫である』 (昭和57年)

柄谷氏のひそみに倣って明治と昭和戦後をパラレルな歴史として並べてみるならば(柄谷氏は明治元年と昭和元年とを出発点として対比させるが、私がいま改めて配置してみるとこれにはかなり無理があるように思われるので、明治元年=昭和終戦と二十年ずらしてみた。こうすると維新=終戦という社会的・心理的転換が明確となり、明治四十五年=昭和六十五年となって終焉もほぼピタリと重なる)、本書の中江氏は維新=終戦時に21歳。戦前に土佐藩士であったところが維新=終戦による社会の激変を受けて、自由民主主義=共産主義の進歩思想の徒となる。本書は西南戦争=安保闘争の解決によって日本が富国強兵路線=高度成長路線を確定させた後の十年後に刊行されたものである。中江氏の問題意識は、自由民主義か富国強兵かという選択を、日本の置かれた状況から吟味するところにある。これを昭和戦後にあてはめるならば、共産主義(むしろ、戦後のバリエーションとしての、新左翼思想のほうが適切であろう)か高度成長かという選択となろう。

洋学紳士の理は、分が悪い。日本国民が非武装平和主義を取って、侵略の敵に武器を取らず、人類の進歩を信じて倒れよ、と説く。豪傑君の反撃に会うのは、いたしかたない。

(豪傑君)昔の文明国は昔の善く戦う者なり。今の文明国は、今の善く戦う者なり。

2013年の現在は、必ずしもそうといえぬ。これは、昭和戦前と同じ歴史的状況だからである。力ある者必ずしも正義ならず、である時代であり、よって豪傑君が依拠できた文明国はまた力あり、というイコールが成り立たない。ここに、世界世論の混乱の原因があり、またわが国の思想の大混乱の原因があるように見える。

グローバリゼーションは、戦後世界の進歩理念というべきではないか。洋学紳士も豪傑君も、ヨーロッパの列強が文明の進歩理念の体現者であるから正義であり、かつ強いことは、両者異論を持たない。日本は、このヨーロッパ文明に追随しようとして富国強兵に邁進し、ついに日露戦争に勝利して世界列強の一員として一応は認められた。だが、その日本は中江氏の豪傑君が想定していた文明国であったろうか。単に帝国主義時代の機会を掴んで国力だけ膨張した、理念なき文明国のエピゴーネンではなかったか。2013年現在、アメリカが主導したグローバリゼーションの結果として、それまで想定外であったBRICS諸国が恩恵を受けて膨張し、世界の列強に新たに入り込んだ。だが、彼らに世界に提供する理念があるかといえば、そんなものはない。現在は昭和戦前のように、世界は普遍的でない、地方地方でしか通用しない偏狭な理念がそれぞれの地方の国力にものを言わせて、言い合いしている世界分裂の状況であることを、現状分析として捉えるべきであろう。

豪傑君の「好新・恋旧」議論は、なんのために置かれているのであろうか?
豪傑君は人間の性情と国家の性情をパラレルになぞらえて、人間が闘争心を持つのと同じく国家も闘争心を持つのであるから、洋学紳士の非武装論は国の分割占領を招くだけだと反論した。これを南海先生は性理の言であり国家経綸ではない、と批判して、それから後豪傑君は日本の針路を述べる。

それは、日本国を強大化するための、帝国主義的侵略推進策である。
日本には多くの「恋旧」分子がいるから、これを壊滅させるよりはむしろ海外出兵の資本として運用せよ、という議論であることが分かる。
これを採用することは、もとより現代の日本ではできない。今の日本では、恋旧も好新も戦争など望んでいない。

(南海先生)進化神の悪む所は何ぞや。其時と其地に於て必ず行うことを得可らざる所を行わんんと欲すること、即ち是れのみ。
時世は絹紙なり、思想は丹青なり、事業は絵画なり。故に一代の社会は一幅の画幀なり。

ここにおいて南海先生、理想と現実の折衷案を出す。それは列強の侵略には断固として防戦し、しかしながら他国を侵略せず被抑圧諸邦と友好すること。具体論としては、当時すでに敵対関係にあった日本と中国において、その対立を両者の「神経病」と診断し、対立の原因は好戦でなく互いへの恐怖心にあり、ゆえに我が側としては対立を激化することを避けるべきである、ということである。

わが国は、理念としてはすでに世界の最前線を行ってしまっている。豪傑君の道はすでに野蛮であり、日本としては全く取ることができない。しかし、世界はいまだに洋学紳士の理想の世界にない。むしろ、戦後直後にはアメリカの支配の下に実現に近かったように見えた国連中心の世界平和が、今はアメリカの相対的地位低下、BRICSの台頭によって、遠ざかっている。
国内事情としては、仲正氏が指摘するように、理念の進歩と経済発展が一致しなくなっている。理念としては正しいと思われるグローバリゼーションによって、日本国民が窮乏化しているのである。これは、日本が「其時と其地に於て必ず行うこと」への国内の支持の力を、殺いでしまっている。

・理念としては、日本の必ず行うことは、周回遅れのナショナリズムではない。これは、「其時と其地に於て必ず行うこと」ではなく、追求しても体に合わない。
・現実的な世界政策としは、昭和戦前と同じ世界情勢である以上、無条件の平和主義は現実的に不可能である。理念を保ちながら、プラグマチックな外交が必要である。
・国内政策としては、グローバリゼーションによる窮乏化が国内から進歩理念への信頼を削いでいる。これは、経済政策によって可能な限り緩和するべきである。とりわけ、若年者および家庭の維持に注力するべきである。
・しかしこれではグローバリゼーションに十分抵抗することができない。貨幣経済の外側にある、相互扶助のネットワークを日本国民はもっと増やし、網の目を細かくしていって、貨幣経済に依存しすぎない生活を作り上げていくべきであろう。