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『ラッセル「西洋哲学史」(近世)を読む』丸山真男

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「いや、本家本元だから、かえってその点の理論的反省がないんじゃないか。英国の自由主義だって無論国民的一体性の背景の上に主張されているんだが、その一体性が早くから確保され、海上権の優越によって強固に保証されていたために、その前提が強く意識にのぼらず、専ら国家からの自由という世界市民的遠心的傾向を表面に出してきたんだと思う。その点になるとフランスやドイツの様に、外的圧迫からの国民的独立に苦しんだところでは、近代的自由の持っている構成的積極的契機は一層鋭く自覚せられざるをえない。こうして、”自由”の立ち遅れているところにかえって、”自由”の理論的堀下げが行われることになるのだ。」(丸山真男集第三巻、p74)

丸山は『超国家主義の論理と心理』『日本の思想』などによって日本思想の異常性を指摘して、戦後論壇のスターとなった。戦前を糾弾し反省するという戦後論壇の至上命題に丸山の著作が明快に答えたからこそ、彼は知識人たちに広く読まれ信奉されることとなった。

竹内洋『丸山真男の時代』に引用された山口定の丸山批判は、文化衝撃が東アジア固有の問題でありヨーロッパには存在しない、という丸山の開国議論の主張を取り上げて、それがヨーロッパ後進国では全く通用しないというドイツ史家からの指摘であったという。

しかし、上のラッセルへの書評において、英国紳士ラッセルの大陸哲学評価があまりにも先進国である英米からの偏見に捉われすぎている、と苦言を呈している丸山は、英米以外のヨーロッパ諸国の思想が後進的であるから取らずにはいられなかった「ナショナリズム」と「リベラリズム」が双生児であるという常識を持っていること、それが英米という先進的立場の論者は理解しようともしない、というヨーロッパ内部での落差に、十分気が付いている。

丸山は、戦後論壇の至上命題に自らの主張を一致させて、思想界をリードした。そのために、竹内が言うとおりジャーナリズム的立場に足を突っ込んで、戦前日本の異常性を強調することに注力した。それは、同じく大学生活から引き抜かれて戦争を体験して復員していた司馬遼太郎の歴史観と、完全にパラレルなものである。丸山が江戸時代思想、および福沢諭吉や陸羯南に後の歴史において成長できなかった近代思想を見る視座は、司馬が幕末明治の群像たちに後世に消えてしまった偉大な日本人を見出そうとした視座と、寸分違いがない。両者が戦後人に及ぼした影響は、多くの批判を超えて大きい。

だが、平成20年代となった現在においてひとまず回顧するならば、私が思うに明治以降昭和戦前までの日本がおかれた状況は、やはり外国との相対的地位によって主に決定付けられたものと見るべきであり、あまり日本の異常性・特殊性を強調しすぎる視座は、それも戦後日本に求められた戦前糾弾論に制約されている、と言うべきであろう。戦前日本もまた、ドイツなどの後進ヨーロッパ諸国と同様に、国民権利の進展と国力の増大を天秤にかけて成長せざるをえなかったことは、両者は大同小異であったと総括してよいのではないいか。現在、かつての日本が捉われていた同様の病気に韓国と中国が感染している。彼らは米国と日本のことを神経症的に気にかけていて、何とかこれらを精神的に無化するために、世界の進歩への献身という国連主義に代表される普遍的原理の追求に向かわず、かえって偏狭なナショナリズムを基本軸にしてそこから自己正当化の論理を紡ぎ出すというかつての日本国家主義者と同じ方向に向かっている。それは、かつての日本の思想的傾向と全く同じである。(彼らもとうぜん主観的には普遍性を目指している、と思っているであろう。だが、それが真の普遍的思想と違う点は、他国に彼らの論理への普遍的共感を一切生み出さないところにある。)この平成20年代の東アジア状況が、日本のかつて置かれていた地位が日本の異常性ではなくて、世界状況における後進性に制約付けられていたことであるという印象を、補強するものである。

丸山も気づいたように、コスモポリタニズムを普遍思想として能天気に主張する大本は、先進地域である英米である。彼らは国難になれば、直ちにナショナリズムに変身することは、よくよく忘れずにいたほうがよい。では戦後日本の左翼がインターナショナリズムを楽天的に信奉し(むしろ反日を標榜する者が後を絶たない!)、ノンポリですら無国籍コスモポリタニズムの空気に安住する(空気であって、本当にコスモポリタニズムでは決してない。むしろ、露骨なまでの村社会である)ことが許されるのは、どうしてか。それは、戦後日本がずっとコップの中の嵐であり続けることができた、という稀有な歴史を1945年以降得ることができた、ということに由来するであろう。冷戦構造の西側に組み込まれた先進国、という絶妙のポジションが、それを可能にした。その根拠が崩れている今、かつてのコスモポリタニズムは昼の雪のように消えるより他はないのであろうか。