カーンこそは、占領期から戦後の日本政治の舞台裏で暗躍した黒幕で、保守本流の政権維持を裏から支えた知られざる”工作者”だったと日本の新聞は報じた。(p21)
戦後日本は、アメリカ、ソ中の謀略の草刈場であったことであろう。小泉政権時における鈴木宗男事件の背後にアメリカの意図があったことは、十分に予想される。鈴木氏と外務省一派は、中央アジアにおいて米ロの間のバランサーとして日本が振舞う道を模索しようとしていた。アメリカがこれを嫌ったことは、想像できる。
渡辺武日記
(ダレス)ロシア人の性格は、ヒトラーなどとちがって、じっくり将棋を指すようなやり方で、勝算のない戦争はやらないと思う、、、現在の戦力は五対一くらいでアメリカの優位である。これが続く限り戦争はない。もし西独および日本がロシアの手に落ちた場合、この比率がロシアの有利となり、戦争の危機にさらされる。したがって、アメリカは日独をロシアの手に委ねることはできない。
当時のソ連は、コミンフォルムを通じた宣伝戦を用いて、西側諸国の世論を反米親ソに向けて駒を進める手段があった。今の中国は、外国に宣伝戦を仕掛ける手段がない。日本としては、①中+露のブロックを阻止することによって、東アジアでの中国の覇権をかわす、あるいは②日+米のブロックを強固に留めて、中国が手を出せないようにする、この二つの課題を平行して進めることが理想であろう。
パケナムは、日本人の好んだ「アジアのスイスたれ」は、一億玉砕などを叫んだ戦前のスローガン同様のたわごとであり、日本独特の不合理であると苛立ちをかくさずに記している(p138)
当時の日本世論「アジアのスイスたれ」をマッカーサーが支持していた理由は、沖縄に恒久的な米軍基地を置くからであった。もしマッカーサー案が実現していたら、戦後日本はどうなったであろうか-沖縄は、必ず別の国となっていたに違いない。極東のキューバ・ニカラグアと化して、さらにベトナム戦争化していた可能性もあったであろう。その可能性を捨てたのが、今の戦後日本である。
日本は、沖縄と一体となって共に現実的な安全保障を構築する責務があるだろう。