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Korea!2009/02/21その十一

(カテゴリ:韓国旅行記

青馬紀念館を、バスは出た。
私は、バスの車中で、チェさんに言った。
「韓国と日本は、EUのように通貨統合するべきだと、思います。それは、できるはずです。そして、しなければならないと、思います。」
チェさんは、答えた。
「私は、韓国の詩と日本の詩を、繋げたいと思っている。私は、日本語を学びたい。君も、韓国語を学んでほしい。私には、詩で両国を繋ぐ、夢がある。君には、政治で両国を繋ぐ、夢がある。必ず、できるよ。だがお金だけでは、だめだ。ハートが、伴わなくてはならない。日本の石原都知事だって、文学者じゃないか。」
私は、言った。
「本当は、台湾も加えたい。だが、今の台湾に手を差し伸べると、中国が怒る。だから、現状では残念ながら、できない。」
チェさんは、答えた。
「台湾は、忘れな。むしろ、仲間とするべきは、オーストラリアとニュージーランドだ。」
帰国して、この構想を夕映舎氏に話したら、彼は批評した。
「しかし―」
もう、泥酔に近い雨の夜に、彼は言った。
「いずれ、中国と台湾までも、仲間に入れなければならん。それは、分かり切ったことや。すぐに急いては、できんよ。できることから、順々にやっていけば、ええんや。構想を、持つ。戦略を、持たんといかん。日本なんか、北方四島の問題だけで、なんであんなにワーワーいうとるねん。国の面子が、そんなに大事なんかい。択捉をあきらめて、それでロシアと仲良くなれる利益が、なんで分からんのかい。」
二人の意見を、並列しておいた。
しかし、二人が共に、「ひとが大事」だと思っていることだけは確かであることが、私には分かった。

チェさんは、言った。
「そして、私の夢 - 南北の、統一。」
彼は、拳を握り締めて、力を込めた。
私は、この旅行をする前には、現実問題として南北の統一はとても無理なのではないか、と思っていた。
ヨーロッパの最富裕国であるドイツですら、東の建て直しのために、予想を越える巨額の資金と、長い年月を必要とした。統一から19年経った現在でも、いまだに旧東ドイツは経済が停滞し、失業率が西よりうんと高い。
現在の北朝鮮は、統一直前の東ドイツとは比較にならないほどに、貧しい。
その上、旧東ドイツの統一直前には、ある程度西側の情報を入手できる環境があった。現在の北朝鮮は、全く閉ざされている。住民は、おそらく第二次大戦直後の常識を現在まで引きずったまま、生きている。ビジネスに、全く慣れていない。
それらの状況を考えたとき、韓国の国力では、とても北朝鮮と統一することは、夢物語ではないかと、思っていた。
だが、私は分かった。
チェさんの言葉で、分かった。帰国後、韓国の文学に親しんで、理解した。
南北の統一は、彼らにとって捨てることができない。
あきらめろ、などと、今の私には、とても彼らに言うことができない。
長い時間が、かかるであろう。
この国の人たちは、ガッツがある。そして、根が非常に勤勉である。だから、時間をかければ、北を建て直すことも、できるだろう。
しかし、かつての西ドイツに比べて大きく国力の劣る韓国が、かつての東ドイツに比べて絶望的なまでに遅れている北朝鮮を建て直すためには、残念ながら一国では力が足りない。もし急いてやろうとすれば、この国は大混乱に陥るに、違いない。
日本が、乗り出すべきなのだ。
南北合わせれば、おおよそ七千万人の国民である。日本にとって、大きく市場が広がる。いま衰退している西日本が、間違いなく活性化する。九州は、日本の他の大都市に行くよりも、ずっと韓国に近い。山陰からは、船を使えばあっという間に釜山に行くことができる。四国は日本で孤立しているが、韓国を視野に入れれば、水路でも空路でも近くにある。済州島を愛する韓国人にとって、四国は済州島をちょうど十倍にしたような、光と緑が豊かな島ではないか。私の郷里の大阪には、在日の方々がたくさんいる。大きなコリアン・タウンが、生野にある。そして、関西空港から釜山金海空港までは、たった1時間30分しかかからない。機内食すら、簡単なサンドウィッチでおしまいなほどに、旅程が短い。
韓国にとっては、もっとよい。一億二千七百万人の市場に、アクセスできるのだ。一世代もしないうちに、日本に等しい所得水準に、跳ね上がることであろう。そうして金の余裕ができれば、統一もやりやすくなる。
韓国人は日本料理を好んでいるから、言葉の問題さえ乗り越えることができれば、彼らにとって日本はまことに旅行しやすい国となるのだ。日本人も、しかり。日本人がもっと韓国で目立つようになれば、食堂は日本人向けに辛くないメニューを用意してくれるように、必ずなる。韓国料理は、辛さだけを取ってしまえば、日本料理と完全に合い通じる。日本料理は、魚料理が優れている。韓国料理は、肉料理と野菜が、優れている。
だが、パスポートの撤廃までは、南北の統一まで無理かもしれない。日本には、北朝鮮の体制を支持する団体に属する方々が、住んでいる。彼ら、彼女らが支持しているとされる体制は、現在の韓国にとって、敵国である。日韓同盟は、日本に住む彼ら、彼女らを追い詰めることに、なるかもしれない。しかし、あの体制は、もう二十一世紀にまで続けてはならない。いにしえの高句麗(コグリョ)の土地に住まう二千万人の人間たちのために、ならない。私は、大慈悲の心をもって、あの体制を追い詰めるために、日韓同盟を進めるべきだと、主張したい。
現在のところ、日韓の両国民は、外国人と付き合う道を知らない。危険なほどに、知らない。この両国の「内向き症候群」を治癒するために、実は最も近い文明を持っている両国民は、通貨を統合し、領土問題を解決して、将来の半島統一のために、政治同盟を結ぶのだ。
通貨単位は、私は「両」が、よいと思う。
「両」は中国から日韓が共通に受け取った、重量と貨幣の単位である。かつては、両国共に、「両」が貨幣単位であった。日本の「両(りょう)」は、徳川時代東日本の、金貨単位としてであった。韓国の「両(ヤン、数字の後ではニャン)」は、短期間であったものの、李朝において1892年から1902年までの間の、最高通貨単位であった。
この新通貨のシンボルは、現行の円が使っている"¥"を流用したほうが、よいであろう。
その方が、すでに国際通貨である円の表記を、世界中で修正せずに使うことができて、パソコンとインターネットに優しい。外国に対して、信が立つ。そうしてこのシンボルの英語表記を、"Yen"から"Yan"に代えるのだ。シンボルは、日本のものを使う。読み方は、韓国のものを使う。両成敗で、ちょうどよい。
もちろん、統一通貨を自国では「エン」と呼んだり、「ウォン」と呼び続けたりしても、一向にかまわない。しかし、紙幣には日本語と韓国語を並べて、「一万両」「일만냥」を併記する。普段使う通貨から、親しみ合うのだ。そうやって、隣の島に行く感覚で外国に通うようにして、外国知らずの両国の精神を、鍛え直すのだ。
こうして交流をEU諸国なみに深めれば、両国民はまず外国人と付き合う方法のイロハを、学ぶことができる。そしてその段階を乗り越えることができたならば、さらに異質の文明である中国やロシア、西洋諸国とも付き合える感覚が、一世代もすれば育てられるであろう。
私は、帰国してから夕映舎氏に、一つの構想を述べた。
「釜山から対馬、壱岐、博多にかけて、トンネルを掘るのだ。そうして、JRとKorailが合同開発した新・新幹線を、ソウルまで伸ばす。東京とソウルを、一本の電車で繋ぐのだ。ゆくゆくは、ピョンヤンまで伸ばす。」
夕映舎氏は、付け加えた。
「その先には、北京や。東京から、北京まで、新幹線。」
私は、その説にうなずいた後に、言った。
「しかし、どうせトンネルを掘るのならば、電車と車道だけでは、もったいない。自転車と、歩いて渡れる道まで、作るのだよ。韓国の人々は、歩くのが大好きだ。地下のトンネルに、10kmごとに休憩所を作って、歩いて九州旅行ができるように、設備を作る。その途上の対馬と壱岐には、歓待する施設を作るのだ。控え目で、なおかつ清潔なやつがよい。韓国人は、日本人と美意識が非常に似通っているから、日本流の美意識をもってリゾート地を作れば、彼らはきっと喜んでくれる。」
夕映舎氏は、言った。
「そやな。かつては、青函トンネルも、夢物語やった。それをやり遂げた日本の技術やから、やると決めたら、日韓トンネルを必ず作ることが、できるやろ。」
そして、私は言った。
「そうして、ゆくゆくは今の北朝鮮の清津(チョンジン)から始まって、日本の青森まで渡る、日韓自転車レースを、開催するのだ。それを中継すれば、いかに自分たちの文明圏が、雄大な山河を持っているかを、心で分かることができるだろう。日本も韓国も、小国ではない。しかし、分かれているから、両方共に、中途半端なのだ。両方が同盟すれば、これはもう大文明圏なのだ。」
両国の間の海は、韓国詩で必ず「東海(トンへ)」と呼ばれている。
だから、彼らにこの海を「日本海(イルボネ)」と呼べと、言ってはならない。
しかし、我々は、この海を"East Sea"などと、呼ぶ必要は全くない。日本の、西にあるからだ。この海は、我らにとって"Sea of Japan"である。英名でどちらの呼称を使うかは、世界が決めればよい。
チェさんは、私に「君は、政治を目指すだろう。」と、言ってくれた。
残念ながら、今の私には、そこまでの勇気がない。
しかし、彼は日本について、言った。
「これから、十年だ。十年の間に、日本はrevolutionを起こさないと、ならない。もしそれがなければ、日本は沈没するよ。」
バスは、巨済島を、進んで行った。
というか、この時の私は話に夢中で、今自分がどこに連れられていくのか、分かっていなかった。
「この出会いのことを、ブログに書いてもいいですか?」
私の問いに、チェさんはOKを出してくれた。
私は、さらに聞いた。
「私は、この旅行のことを、あなたの国に対して99%の"love"をもって、書くつもりです。しかし、私は1%だけ、"critisism"を入れるでしょう。お嫌ならば、どうか読まないでください。」
チェさんは、そういう私を、遮った。
「いや。50%と、50%だ。この国の、良いと思ったところを、50%。悪いと思ったところを、50%。そうでなくては、ならない。」
私は、彼に感謝した。
チェさんはもっと同行するように、私に勧めてくれた。
しかし、残念ながら、私は明日の朝、日本に戻らなければならない。
「残念ながら、お別れだ。」
バスが、止まった。
私は、チェさんとその一行に、別れの挨拶をして、降りた。
降りた場所のことは、知らなかった。

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