JR西日本にメールを送った後、Park君にもメールを送りたいと思った。
まず、英文を作った。
Dear,
Now I'm in Japan.
I hope, hope, and hope you to come to my country, and love these beautiful islands.
I hope splendid youths like you to know and love Japan.
This is my blog, I wrote about you.
http://suzumoto.s217.xrea.com/
Maybe now you can't read it, but, at least, I can say that I told Japanese people how beautiful heart you have, and your home country's people have.
Still I can't read the letter what you gave me fully, but I can understand you gave me a warm goodbye.
I hope you also try to read my haiku I gave you.
それを、まず日本文に、直した。
前略。
今、私は日本にいます。
私は、君が我が祖国を訪ねてくれることを、心から望んでいます。心から。
私は、君のような素晴らしい若者たちに、日本を知って、そして、愛して欲しい。
これが、私のブログです。私は、君について、書いた。
http://suzumoto.s217.xrea.com/
たぶん、今は読めないだろう。
だが、これだけは言える。
私は、日本人に対して、いかに君と、君の祖国の民が、美しい心を持っているかを、書いたつもりだ。
まだ、私は君からもらった手紙を、十分解読できないでいる。
だが、私は君が心のこもった別れの挨拶を私にくれたことだけは、読み取ることができた。
君もまた、私が贈った俳句を、読むことに挑戦しておくれよ。
草々
Exciteの自動翻訳機に、かけた。
その結果を拾って、今度は韓文和訳マシーンに、かけてみた。
一見しただけで、自動翻訳の結果が、文章になっていないことが、知れた。
サイトの記事を拾い読みするぐらいならば自動翻訳でもよいが、手紙に自動翻訳は、使ってはならない。
残念ながら、Exciteの訳は、その程度だ。
私は、手持ちの日韓・韓日辞書を、取り出した。
この辞書は、初心者にとって極めて使いにくい。
2002年のワールドカップ時代に発行された辞書の古本を、amazonで安く手に入れたものだ。
カバーに「W杯観戦必携」などと、書かれている。
しかし、この辞書は、残念ながら一つのメッセージを、私に発していた。
-日韓は、しょせん分かり合えないよ。
日韓辞書の各項目の地の文に、韓国語が出て来る。
「紀念」으로도 썼지만 「記念」이 일반적임。
こんな説明をされても、初心者は読めない。
この日韓辞書は、韓国語の文法をマスターしている日本人だけにしか、使えない。そして、そんな日本人は、百人に一人も、いるだろうか?
私は、自分の手で、翻訳を始めた。
自動翻訳機では、「民」が「백성」になっていた。
「백성」を、辞書で引く。
漢字(ハンジャ)が、分かる。
-「百姓」。
これでも韓国語ではよいのかもしれないが、もし日本語とニュアンスが近いのであるのならば、この語はだめだ。私は、「사람」を使った。
訳していくうちに、韓国語は日本語とまことに文法が似ていることに、ますます気づいてくる。
直訳の感覚で、文章を組み立てることができる。
韓国語と日本語は、同窓生のようなものだ。
スペイン語とイタリア語のような、兄弟ではない。日韓の民族の血は交じり合っていても、日韓の言葉は、遡ればおそらく別系統の言葉だったのであろう。この二つの言語は、原始から持っていたであろう単語については、共通性が見られない。たぶん韓国語は北の大地から南下して来た言葉で、日本語は昔からこの島にいたか、あるいは南の海を渡って北上して来た言葉だ。
同じ時期に、同じ隣にいるチャイナ先生から、文明と漢語を学んだ。
互いの国が疎遠となってからも、文献により間接的に、チャイナ先生から文物を輸入し続けた。
だから、同窓生なのだ。
漢語の圧倒的な影響を受けながら、文法の構造に漢語の単語を組み込む、膠着語となった。
だから、21世紀の現代になっても、驚くほどに文法が似ている。これは進化論の言葉で言えば、互いに種として関係がないのに外見や生活活動が似通っている、収斂進化"convergence"というべきものであろう。たぶん。
そして、ともに儒教の影響を受けて、人間のつながりを社会の根本に置く。
韓国では家族の結合で、日本では組織の結合の点であることが、ちょっと違うが。
だが、両方ともに、中国の引き写しではない。
楽天的な中国人と違って、両国民は清貧を愛し、やせ我慢を愛する。
そして、清潔を愛する心が、強烈に強い。
「ウマミ」を嗅ぎ分ける舌を、持っている。中華料理はやたらに料理を飾り立ててみたり、野菜に細かい細工を施したりする。彼らはそれをよしとしてやっているのだろうが、私は率直な意見を言わせてもらえば、そんなことにかかるお金が、もったいない。美味いものを食わせてくれれば、それでよい。そう、思ってしまう。華やかとは決して言えない韓国料理を食べている韓国人も、同意見ではないかと思っている。
さらに、これは悪い面であるが、集団の多数意見が時に熱狂的世論を作り、しばしば少数者を「空気」で圧迫する。
これらは、おそらく血の影響であろう。同じジャポニカの米を太古から食ってきたことと、同じく。
ワープロで、翻訳を続ける。
まだこの言葉をマスターしていないので、自分で十分理解できない言い回しは、避けることにした。「私」には、「나」を使った。「君」には、「자네」を使った。私の方が、彼より年長である。それで、日本語の感覚で、これらを使うことに決めた。間違いかもしれないが、ここに私の学習の記録を残すために、今回はこれで通す。
思いの他早く、できあがった。
以下の文章をもう一度Exciteにかければ、文法的にはだいたい合っているであろうことが、推測できた。
전략.
지금, 나는 일본에 있습니다.
나는, 자네가 내 조국을 방문하는 것을, 진심으로 바라고 있습니다.진심으로.
나는, 자네와 같은 훌륭한 젊은이들가, 일본을 알고, 그리고, 사랑하는 일을 바란다.
이것이, 내 브로그입니다.나는, 자네에 관해서, 썼다.
http://suzumoto.s217.xrea.com/
아마, 지금은 읽을 수 없을 것이다.
하지만, 이것만은 말할 수 있다.
나는, 일본인에 대해서, 얼마 자네와, 자네의 조국의 사람들이, 아름다운 마음을 가지고 있을까를, 쓴 셈치다.
아직, 나는 자네에게 받은 편지를, 충분 해독할 수 없다.
하지만, 나는 자네가 정성 어린 이별의 인사를 나에게 준 것 만은, 읽고 이해할 수 있었다.
자네도, 내가 준 하이쿠를, 읽는 일에 도전하는 일을 바란다.
이만 줄이겠습니다
私が生まれて始めて書いた、韓国語の手紙である。ここに、記録する。
おそらく、この訳はへんてこな、ものであろう。
だが、それでいいのだ。
人の労苦を借りるよりも、私は自分でやる。そうしなければ、身につかない。
英文の下に、韓国語訳を貼り付けて、メールを作る。
教えてもらったアドレスに、送った。
だが、届かなかった。
昨日、夕映氏が、酔いながら私に、忠告をした。
-あんまり、舞い上がるなよ。
彼は、私よりももっと沢山、挫折を経験している。
挫折を経験しながらも、それでも精一杯前を向いて、生き続けている。
そんな彼だから、私を危ぶんだのであろう。
私はついその時、電話口の彼に、反論してしまった。
だが、日が明けた今は、彼の忠告の意味が、よく分かる。
その後、ちょっとだけ機転を利かせて、教えてもらったメアドをもう一度よく見た。
メアドの先頭部分は、よく見ると気の利いたしゃれになっていた。
それで、たぶんこう書きたかったんだろうと類推して、もう一度送ってみた。
今度は、届いたようだ。
ひょっとして、違う誰かに送ってしまったかも、しれないけれどね。ハハハ。