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二十六 武関に急ぐ(2)

(カテゴリ:楚滅秦の章

沛公軍は、南陽郡攻略に取り掛かった。

ほとんど、鎧袖一触の勢いであった。
南陽郡守の兵は、沛公軍にたちまち破られていった。
沛公は、ほとんど無人の野を行くがごとく、快進撃を続けた。
ついに、郡守は宛(えん)の城市に立てこもった。南陽郡最大の城市で、郡役所もここにあった。
沛公は、曹参たちの兵が勢い付いて前に前に進むので、ついつい彼らの勢いに任せて自らも急いでしまった。
籠城する宛の城市を、無視して横を通り過ぎた。
「まあ、よい。城攻めなど、この際やっていられるか。」
気付けば沛公軍は、一日の行軍で宛から先に大きく進んでしまっていた。
夜、兵の宿営に張良が飛び込んで来た。
彼は、この行軍で韓軍の指揮を取っていた。それで、沛公軍が今日一日であまりに大きく進み過ぎたことに、危機感を持った。彼は、韓軍から急いで沛公のところにやって来たのであった。
張良は、馬車を全速で走らせて来た。彼の虚弱な体には、ずいぶん応えた。彼は顔を青くしながら、それでも直ちに沛公に会って、言った。
「― いけません。宛を通り過ぎては、いけません。引き返されよ。」
沛公は、苦しんでいる張良を気の毒に思ったか、安心させるつもりで言った。
「城攻めは、下策だ。孫子の兵法にも、そう書いてあるんだろ?俺は、城市など欲しくはない。だから、通り過ぎたのさ。」
そう言って、わはははと快活に笑った。
張良は、眉をひそめて言った。
「公は、宛の城市の意味が、分かっておられぬ!」
沛公は、張良の強い口調に、言葉を詰まらせた。
張良は、言った。
「宛は南陽郡の中心で、巨大な城市です。この一城を残せば、南陽郡は半分も制圧したことになりません。捨て置いて通り過ぎれば、郡守が号令一下に背後から兵を動かすでしょう。たちまち南陽郡は再び秦の手に落ち、我が軍は秦軍の中に挟み込まれることになります。城攻めは、するべき時には断固としてしなければならないのです。今、宛の城市を攻略せずに通り過ぎれば、我が軍は滅亡です。」
張良は、沛公の生兵法を厳しく戒めた。
沛公は、困って張良に聞いた。
「しかし、、、宛を攻めれば、どのくらい手間取るか分からん。」
張良は、言った。
「速やかに、制圧するのです。こうなされよ。」
そう言って、彼は沛公に策を示した。

その夜、沛公軍は直ちに行動を始めた。
彼らは、ひとたび動くことを決めれば、躊躇せずに早い。指揮する武将たちに、人を得ている証拠であった。
張良の策に従い、通過した街道とは別の脇道を通って、宛に引き返した。
このとき、張良は沛公軍の諸将に黒い旗を渡した。
「これは?」
曹参たちは、聞いた。
張良は、莞爾(にこり)として、答えた。
「秦軍の旗です。私が奪って、取っておいたものです。」
張良は、言った。
諸将は、この旗を前面に出して気勢を挙げよ。郡守はこれを見て、ついに秦軍までが我らに降って攻城に出たと思うであろう。すでに崩れ始めた、秦帝国である。南陽郡守だけが、節を守れるはずがない。彼は、必ずもはやこれまでと狼狽するであろう。郡守が狼狽しているうちに、降伏を勧めるのだ。これが、最も早く宛を降す策なのである。
諸将は、軍師にまたもや感心した。
こうして、朝のうちに宛の城市は沛公軍によって三重に包囲された。
城市を守る兵は、朝起きてみると敵軍が包囲しているのを見て、仰天した。
郡守は、秦軍の黒い旗を包囲軍の中に認めて、肝をつぶした。
「もはや、これまでか、、、」
張良の、読み通りであった。すでに秦の百官の心中には、自国への不安が巣食っていた。芽生えた疑いをせき止めるだけの体制への信頼は、溶け去っていた。
郡守の舎人(けらい)の陳恢(ちんかい)が、彼のもとにやって来た。
「― 閣下は、これより如何(いかが)なされる。」
郡守は、答えた。
「もはや、秦は潰えぬ。首刎ねて、死ぬまでだ。」
陳恢は、彼に言った。
「死ぬ必要は、ありません。秦の将官は、次々に降っているのです。それがしを、楚に向けて使者となされよ。閣下のお命を、お救い申し上げましょう。」
実は、この陳恢もすでに張良によって抱き込まれていた。陳恢に言われて、郡守は彼を使者として沛公のもとに送った。
張良は、使者に会見しようとする沛公に、ささやいた。
「― ここは、大きな恩賞を与えたまえ。我が軍が降伏する者に寛容であることを、示すのです。これからの道が、ずいぶん楽になるでしょう。」
沛公は、にやりとうなずいた。
沛公は、陳恢に会って郡守の降伏を受け入れた。
それどころか、郡守は諸侯とされて、殷候に封じられた。陳恢には、千戸の食邑が与えられた。
こうして、宛の城市は南陽郡守ごと降伏したのであった。
この宛を取ったことで、武関までの道は固められた。時は、二世皇帝三年七月。すなわち、北で項羽が章邯を降したのと、ほぼ同じ時期であった。
沛公軍は、武関に向けて進みに進んだ。
途上、面白い人物が、沛公軍に参加して来た。
戚鰓(せきさい)と王陵の軍が、沛公軍に降った。
王陵とは、かつての沛の大親分で、任侠時代の沛公の兄貴分である。彼は、この風雲の時代に自分で兵を率いて転戦していたのであった。それが今や、ついに同郷人の沛公のところに身を投じたのであった。
沛公は、王陵に会見して、言った。
「― 久しぶりだな、王陵。」
もはや、彼はかつての兄貴分よりもはるかに巨大な存在となっていた。王陵は、彼の前でへりくだるばかりであった。
王陵は、沛公に言った。
「公よ。それがしが参じた土産と言っては何ですが、よき人物を紹介いたします。」
沛公は、聞いた。
「ん?、、、誰のことだ。」
王陵は、謹んで言った。
「公の軍中で、罪に触れて斬に処されようとしていた張蒼という者を、見かけました。それがし、あまりの美丈夫が斬られようとしていたのを見て憐れみ、慌てて軍吏に命じて斬を止めさせました。張蒼は、間違いなく一個の人材です。公よ。捨て置かず、よろしく重用なされよ。」
沛公は、内心鼻白んだ。
(俺の軍中で、勝手なことをしやがって、、、こいつ、まだ俺の兄貴分気取りなのか。)
彼はそう思ったが、言葉には出さなかった。
王陵の勧めに従って、彼は張蒼と面談した。
彼は、もと秦の御史であったが、咸陽から逃亡して楚軍に転がり込んだのであった。だが余所者ゆえに軍法を逃れる術がなく、危く斬られようとしていた。沛公が話してみると、果たして律令・財政・戸籍などの文政について、この上ない知識を持っている人物であった。さすがに、秦の法を司る御史の一人であった。
沛公は喜んで、以降彼を重用することにした。この頃になると、沛公に集まる人物が多すぎて、張蒼のように見逃される者も多くなっていたのであった。

          

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第二章 伏龍の章


           
第三章 皇帝の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


           
第十章 垓下の章



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