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八 分かたれた天下(2)

(カテゴリ:死生の章

ひとまずの詮議が終わって、項王の裁断を陳平が持ち帰って来た。

亜父范増は、陳平よりその内容を見せられた。
大勢は、亜父の予想した通りであった。
項王は、新しい体制について秦の体制を一変させることを望んでいた。
「― 大帝国は、人を圧しつぶす。郡県制、律令制、官吏の支配。ことごとく、悪の制度である。新しい国は、秦の制度を繰り返してはならない。各地の自律を重んじ、国人の気概で国を支える。そのような制度を、考えるのだ。」
項王は、自らの抱負を述べた。陳平たちは、彼の要求を具体化する案を練った。
その結果が、封建制の復活であった。諸侯を各国に細分して自立させ、中国を連合王国とする。項王の望みを制度にするならば、これが具体的な結論となった。新しい楚帝国は、まるで四百年前の春秋時代に戻ったような小国割拠に戻されることとなった。
帝国内に封建される小領主は、項王が決める。先程の詮議は、そのために行なわれていた。范増は若い者どもの考えに当初は口出しもせず、最後に彼らの作った案を見せられた。
その封建案を読んでいた彼の目が、最後の箇所で急に怒り出した。
范増は、陳平を怒鳴った。
「何だ、この関中の封建は、、、!」
陳平は、顔は亜父を向きながらも、目をそらした。
范増は、陳平を怒り散らした。
「― 劉邦を関中王になど、断じてしてはならん!どうして、お前は止めなかった!奴に関中を与えるなど、蛇に雲を与えて蛟龍にするようなものだ。お前は、あの男の恐ろしさが、分からんのかっ!」
范増の怒りに、陳平は答えることもできなかった。
陳平は、最初関中の封建についてある別の案を項王に示した。だが、項王はその案に怒って、直ちに却下した。陳平は、困り果てて項王に言った。
「それでは、関中を治める適任者がおりません、、、」
項王は、言った。
「沛公劉邦が、いる。彼は、関中の王になりたがっていたではないか?」
彼は、鴻門の会での沛公とのやり取りを、いまだ心に残していた。項羽は、沛公劉邦の主従をあの席で認めた。ゆえに、斬らず許した。その許した男が、兼ねてから望んでいた土地であった。項王は、このとき素直に認めてやろうと思った。
陳平は、彼の言葉にただただうなずいた。
「― まさに、大王のお言葉通りにございます、、、」
そう言って、最後の行を書き直した。

関中王 劉邦。

だが范増は、この案を断じて許すわけにはいかなった。
彼は、陳平を責めた。
「どうして、お前たちは王をお諌めしないのか!王の好みで封建しても、王に抑えられぬ男がいることに、どうして思いを馳せないのか!お前たちは、それでも王に仕える臣であるのかっ!、、、」
范増は、陳平の無表情を見た。
彼は、思った。
(― わが王に、心服していない。)
陳平は、今や項王を恐れて逆らわない態度に徹していた。彼の明察をもってすれば、劉邦を関中王に封建することの重大な結果などは、容易に予測することができた。だが、項王の断を覆すことなど、命の無駄であると思った。それで、天才の言葉には唯々諾々と従うことに、彼はとっくに決め込んでいたのであった。
范増は、言葉を吐き捨てた。
「もうよい!、、、この亜父が、項王に進言する。」
そう言って、陳平の横を通り過ぎて行った。
今や、項王に逆らう進言ができる者は、亜父范増だけとなっていた。彼は、項王の陣営に老体を運びながら、独り思った。
(― もう誰も、わが王に付いていけなくなった、、、)
范増は、悲しんだ。天下の覇王が、人を恐怖させている。誰もが彼を伏し拝むばかりで、彼と共に歩もうとはしない。その裏側では、皆が舌を出して彼がしくじることを、待ち望んでいるのだ。范増だけが、項王を愛しく思っていた。
彼は、項王の陣営に飛び込んで、直言した。
「劉邦を、関中王にしてはいけません。」
彼は、項王を押し切った。ならばどこに領地を与えればよいのか、と項王に聞かれて、范増は答えた。
「劉邦は、別働隊を出してすでに漢中を征服しております。この漢中と、背後の巴蜀を与えて漢中王としたまえ。これらも、秦の旧領です。函谷関の内を関中と申すならば、巴蜀と漢中も、関中の一部に他なりません。彼は、秦を倒した功績があり、しかし函谷関を閉じた罪があります。両者を考量すれば、巴蜀と漢中で恩賞として十分すぎるほどです、、、」
彼の本音は、劉邦を山の中に封じ込めて二度と出られなくするのが、目的であった。漢中は漢水の上流にある山がちな盆地で、北を険しい秦嶺山脈に遮られていた。秦嶺の北にある関中への通路は、秦が掘削した何本かの街道しかない。その南に位置する巴蜀の盆地は、秦の征服後に刑徒や商人を送り込むための土地であった。いまだに大半の土地には異民族が居住していて、秦の開発はまだ端緒に付いたばかりの植民地であった。
范増は、ついに封建の案を書き換えさせた。
漢王 劉邦。漢中、巴、蜀を領し、南鄭に都す。

「― 空いた、関中には、、、」
范増は、ここで意地を悪くした。降った三人の秦将を、関中に王として植付けた。彼らは、新安での虐殺の生き残りであった。秦人でありながら、もはや秦人と共に生きることはできない。楚のために働くより他に、彼らの道は残されていなかったのであった。
雍王 章邯。咸陽以西を領し、廃丘に都す。
塞王 司馬欣。咸陽以東、河水(黄河)までを領し、櫟陽に都す。
翟王(てきおう) 董翳。上郡を領し、高奴に都す。

こうして、各王の封建が決まった。中国の各地は、王たちの封地に分割された。残っているのは、西楚すなわち彭城を含む淮水から泗水にかけての流域であった。ここが、大王の直轄地となるのであろう。

          

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第二章 伏龍の章


           
第三章 皇帝の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


           
第十章 垓下の章



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