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十六 東伐献策(2)

(カテゴリ:死生の章

韓信は、言った。

「このそれがしは、かつて項軍で郎中の職にあり、項王のことをよく知っています。項王は、ひとたび怒りて叱咤すれば、千人がひれ伏すほどです。これは、誇張ではありません。じつに鉅鹿の戦は、項王一人の武勇の舞台でした。項王は、彼一人の力によって強大な秦軍を相手に、奇蹟の勝利をもたらしたのです。彼は、武将としては一人で万の兵にも匹敵します。」
彼は、鉅鹿の戦で項王の戦いぶりをありありと近くに見た。項王は、じつに奇蹟を呼ぶ男であった。武将としてならば、彼は古今無双というより他はなかった。
だが、韓信は言った。
「しかし、項王の武勇とは― 匹夫の勇です。」
諸将は、韓信の一転した断言に、耳を疑った。
漢王が、言った。
「― 匹夫の勇と、断ずるか?韓信。」
韓信は、答えた。
「そうです。猛虎は、しょせん猛虎です。その牙で人間の世を治めることは、できません。」
さらに韓信は、項王の仁愛の美徳についても、斬り捨てた。
「項王は、武勇だけではありません。項王は、仁愛深き人となりです。彼は楚の貴族の子弟として人に接するに恭敬慈愛で、言語は嘔嘔(おうおう)として品性穏やかです。その上、彼は病者を見れば涙を流し、自分の飲食を分け与えるほどの情愛にあふれています。だが、しかし― 彼の仁愛は、婦人の仁です。匹夫の勇、婦人の仁は、人間の世を治める道理とはなりえません。」
政治とは、個人の力ではない。
上に立つ者を押し上げる百官諸侯の合意と、万庶の民の声なき支持の大海に浮かんでこそ、初めて君主は大船を操ることができるのである。いま項王は古今無双の武勇を誇り、心は気概に溢れていた。しかし、彼は誰も見ておらず、そして人々は彼にひれ伏しながら目を背け始めていた。彼の大船は、水に浮かばないのであった。今は、彼一人の腕で船を担いでいるのが実際であった。それでは、天下の覇王になることはできない。英雄にとっては悲しいことであったが、それが英雄を好まぬ中国の政治の世界であった。
韓信は、項王の政治の欠陥について、指摘した。
「項王は、天下に覇して諸侯を臣とし、関中を棄てて彭城に都しました。だが彼が命じて諸侯を王候として立てたとき、その論功行賞は己一個の親愛の度だけで量ったものでした。諸国の旧い王は項王に近しい者によって逐われ、また功あった者は報われずに慮外の冷遇を受けました。こうして、天下の各地には項王の仕置に対する不満が積み上がっております。その不満は、すでに関東諸国で反乱の形を取り始めました。だが対する項王は、ただ武力、武力、武力しかありえません。項王は天下の百姓を心服させることなく、ただ威強をもって脅かすことしかできないのです。これは、名ばかりの覇王です。実は、天下の心を失っています。天下を敵にした一匹の猛虎がどれほど暴れようと、その強盛は続けることができないのです。」
それから、彼は漢王を見据えた。
「大王は、この漢中の地に押し込められた、最大の不満を持つ諸侯です。ゆえに、亜父范増らは大王を警戒して封じ込め、隙あらば除こうと企んでいます。大王は、よろしく項王とは逆の道をあえて進まれよ。天下の武勇の士を信任し、天下の城邑を功臣に与え、義兵の旗を掲げて、東に帰還することを熱望する将士を従えて、進まれよ。そうすれば、項王を丸裸とすることができます。大王の進むところ、天下で服せぬ者とて、どうしてありえましょうか?」
そう言って、韓信は漢王を拝した。
天下の不満を、項王と反項王との戦いに、全て集約させる。
その反項王の旗印に、漢王が立つ。漢王は、反項王の勢力の中で最大の諸侯なのである。漢王が天下の不満を糾合すれば、その勢いは必ず巨大な波とならずにはおられない。これで、項王と戦うことができるのだ。
漢王は、黙って小さくうなずいた。
このとき、曹参が立って発言した。
「しかし、それでは大義名分が足りない。論功行賞の不満だけで兵を挙げるならば、反乱にすぎないではないか?」
一度は諸侯が会盟して決めた、秩序であった。その秩序に背くのは、反乱であった。曹参は、韓信に挙兵の大義が問われることになりはしないかと、詰問した。
しかし韓信は、答えた。
「大王は、義帝がすでに殺されたことを、ご存知であるか?」
諸侯は、えっ!と声を挙げた。
漢王は、目を見張った。
「まさか、、、何かの間違いであろう?」
義帝はたとえ形だけのものであっても、抹殺するなどは政治的自殺であった。漢王が韓信の言葉を疑ったのも、当然であった。
韓信は、答えた。
「表立っては、発表されておりません。しかし、それがしの知るところでは、義帝は間違いなく弑されました。項王は、推戴した義帝が邪魔になって、これを彭城から追放して江南の辺地に追いやりました。いやしくも帝国の主を、自ら蔑(ないがし)ろにしたのです。そして、ついに弑逆いたしました。今や、楚帝国とは名ばかりの体制です。会盟の結果を破ったのは、項王なのです。項王は、すでに大義すら失いました。これで、大王の義兵は天下の大義となり得るのです。」
楚の義帝が項王によって放逐され、やがて殺された経緯は後に書くことにしよう。とにかく、義帝を物理的に抹殺したことによって、項王は武力だけに頼る覇王の権力構造を自らむき出しにしてしまった。彼の天下を保つものは、今や自ら兵を率いて敵を蹴散らす、具体的な恐怖だけとなった。
酈商が、次に立った。
「大将軍は、兵を率いて東せよと言われる。当然、我らは関中を取らなければ進むことはできぬ。だが関中は周囲を要害に守られた、四塞の土地。加えて、我らはすでに桟道を焼いて道を失っており申す。これでどのように、関中を取ることができると申されるのか?」
酈商は、歴戦の名将であった。兵を率いさせれば、漢の将軍たちの中でも最も結果を出すことができた。ゆえに漢王が関中に入った際には、彼は別働隊を率いて漢中を攻略した。酈商は、この漢中から四塞の地の関中を攻略する困難を知って、大将軍に問うたのであった。
「― 酈将軍の疑問、もっともである。その問いを、私は待っていた。」
韓信は、自らの戦術を語り始めた。

          

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第二章 伏龍の章


           
第三章 皇帝の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


           
第十章 垓下の章



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