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十一 九地九変(2)

(カテゴリ:背水の章

漢軍は、太行の山道を進みに進んだ。

太行山脈は、中国の長い長い歴史において、何度となく攻防の舞台として現れる。東の河北省方面から西の山西省方面に侵入しようとする軍は、必ず八陘(はっけい)と呼ばれる狭い山道を突破しなければならない。西から東に侵入しようという場合も、同様のことである。
八陘のひとつ、井陘は現在の石家荘市と太原市とを結ぶ、戦略的に最も重要な道である。
その東麓の口、すなわち井陘口にある関のことを、現在の地名では娘子関(じょうしかん、ニャンジークァン)と呼んでいる。隋唐の天下が変わる頃、唐の高祖李淵の娘である平陽公主は、男勝りの将才長けた女であった。彼女は高祖の娘であるから、唐王朝の実際の創始者である太宗李世民にとっては姉に当る。この女将軍が、自ら七万の部隊を率いて、父のために山西の地を敵から防ぐため、井陘の関を守った。彼女の部隊は、娘子軍と号されていた。以来、平陽公主を讃えてこの関は娘子関と呼ばれるようになった。
日中戦争初期、河北省方面から太行山脈を越えて山西に侵入しようとした日本軍は、この娘子関を塞ぐ八路軍との間に、激しい攻防を行なった。日本軍は結局八路軍を突破して太原を占領することができたが、娘子関は戦争中期においてもいわゆる百団大戦において八路軍との奪い合いとなった。このように、ここは古代史から現代史に至るまで、数限りない戦の場となり続けた。戦って取るのは、軍人の道である。だから軍人は血を流して必死に関を取り合うのであるが、彼らは人の生きる世界のことを考えているのかどうかといえば、長い歴史を読む限り、どうも心もとない。戦いとは、何のためであるのか。結局は人のためでなければならないはずないのであるが、戦いはいつしかそれを忘れさせる。
韓信は、井陘口から三十里の手前で、全軍を宿営させた。
彼は、次第に明らかとなりつつあった趙軍の状況を詳しく調べながら、目前に迫る戦闘について、ありうる限りの経過を脳中で構築していった。
彼は陣中に座わり、瞑目して独り考えた。
やがて彼は、静かに目を開けた。
「― 戦闘は、、、明日!」
結論は、出た。
「決めたからには、迷うこともない、、、」
二度、三度と考え直したところで、状況は変化しない。もしこの場に及んで考え直すような余地があるとすれば、それは自分の最初の熟慮が足りなかったということを示しているにすぎない。それは、兵法家失格である。兵法家とは、計算できるものを戦う前にことごとく計算しておいて、しかる後に戦場に赴かなくてはならない。孫子曰く、
― 算多きは勝ち、算少なきは勝たず。而るに況(いわん)や、算無きに於いてをや(始計篇) ―
孫子兵法の開巻の篇に、この「始計篇」が置かれていることを、よく考えるがよい。戦の道において、将の勇や兵の勢などは、いざ戦場に立ってから引き出されるものである。戦の設計者である兵法家が成すべきことは、まず第一に考え尽くすこと。考え尽くして、最善の可能性を見出す。戦わずして勝てると見抜いたならば、戦ってはならない。だが、この戦において、韓信はあえて戦うことに決めた。自ら身を挺して戦うことで、漢軍の目的を達しようと決めたのであった。それは、捨て身であって捨て身でない。兵法は、勝つための道として詭道を説き、勝つためには衆人の知らざる道を履まなければならないと、力説する。この戦は、兵を知った上で彼が編み出した、勝つための創造の術であった。
「諸将を、集めたまえ。戦前に、訓示しよう―」
韓信は、軍吏に命じた。
やがて、漢軍を率いる主だった将が、韓信のもとに集合した。
その中には、この戦にも参加していた仮左丞相曹参に、もと常山王の張耳、その嫡子の張敖もいた。
韓信は、言った。
「明日をもって、趙軍と決戦する。趙軍は塁を築いて蝟集(いしゅう)し、我が軍が井陘口から出てくるところを待ち構えている。立て籠ることのできる要地は、すでに全て趙軍に占拠されている。我が軍は、攻める土地も守る土地も与えられない。」
諸将は、ざわついた。
曹参は、言った。
「圧倒的に、不利ということですか、、、つまり。」
彼は、どのようなことがあろうとも、戦い抜くつもりであった。これまでの戦で、死にかけたことは幾度となくあった。不思議なことに、今まで生き残って来た。それは、もしかしたら漢軍の将として漢王を助けて守れという、天の命令であるかもしれなかった。しかし、彼はいずれ天が守ってくれるだろうなどという甘い展望を、戦と自分の命に対して持つことは決してしなかった。
韓信は、言った。
「その通り。我が軍は敗走しても、逃げる場所すらない。」
曹参は、その状況の結果するところを言った。
「ならば、いずれは全滅― 我らは、死地に入った。」
韓信を囲む諸将に、動揺が走った。
張耳は、韓信を睨み付けた。
(何を、考えている、、、)
張敖は、目をぐりぐりとぎょろつかせながら、韓信を見た。
(何と危ない橋を、渡られるのであるか、、、)
韓信は、言った。
「死地!、、、その通り。我が見ても、敵が見ても、漢軍のいるところは死地である。ゆえに、明日の勝利は我がものとなるであろう。これより、今夜以降の動きを各将に伝える。各将は、それぞれ命じられた地点に赴き、ひたすら勇戦せよ。勇戦することだけが、明日我らを死地から救ってくれるのだ!」
韓信は、断言した。
諸将は、自分たちが追い込まれてしまったことを、知らされた。
張耳は、韓信を見て思った。
(この男の落ち着きぶりは、どうであろうか、、、死地に入る戦を前に、どうして平然としていられるのか。だが任侠の者が死を賭して敵に向かうのとは、こいつの面構えはまるで違う。)
まさに戦に面したとき、韓信は強かった。だがそれは、任侠の者たちが行なうような、命を投げ出す強さとは違った。韓信のそれは、戦の中に法則を見出し、創造力を働かせて将来に当る者だけが見せる、知者の強さと言うべきものであった。
韓信は、言った。
「曹仮左丞相。あなたは明朝、本軍を率いて先発してもらいたい。陣取る場所は、ここだ―」
韓信は、目の前に広げられた地図の一地点を、愛用の長剣でぱん!と叩いた。
地図上のその地点は、以外な地形であった。
曹参は、聞いた。
「、、、本気ですか?」
韓信は、迷わず答えた。
「ここでなくては、ならない。」
それは、綿蔓水(めんばんすい)を背にした河岸であった。兵法の常道から言えば、おかしい。
韓信は、言った。
「死地の上に、死地を重ねる― あなたならば、その意味がおわかりだろう?」
そう言って、莞爾(にこり)とした。
曹参は、黙ってわずかにうなずいた。

          

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第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


           
第十章 垓下の章



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