二人は、話題を変えて、語り続けた。
「そうだ― 前に、二人で作りかけた歌があった。」
項王は、虞美人に言った。
力ハ、山ヲ抜キ
気ハ、世ヲ蓋フ
虞美人は、笑った。
「― その起句は、私が最初に作ったのだよ。」
彼女は、後を作りなさいと、彼にせっついた。
項王は、彼女に言った。
「私は、今でも変わらない。この句の、通りなのだ。」
虞美人は、うなずいた。
項王は、言った。
「だが、、、時代は、私を容れてくれない。それとも、私が時代に逆らっているのであろうか。」
時、利アラズ
彼は、歌の調子を付けて、これを口走った。
「押韻を、するならば、、、」
逝カズ
「世」と「逝」で、韻を踏もうとした。
彼は、言った。
「逝かないものは、この私だ。そして、この時代も、また。」
陣営の外で、彼の愛馬の騅が、高らかにいなないた。
項王は、言った。
「あれも、広い世界に行きたがっている。もとは、はるか西方の産だ。私は、あいつと三年の間、戦場を駆け回った。どこまでも進む力を持つ我らであるのに、何も進んでいない。いったい、どうしたことだろうか?」
時、利アラズ
騅、逝カズ
項王は、起句を継ぐ承句を、このように作った。雄大な起句から一転して、承句は否定を二度重ねて、悲壮な響きとなった。
いつしか、項王ははらはらと涙を流していた。
歌を作りながら明るいことを考えようと思ったのに、彼の心は歌により、かえって悲しみに捉われてしまった。
項王は、悲憤慷慨しながら、さらに転句から後を続けた。
騅ノ逝カザル、奈何(いかん)スベキ?
虞ヤ!虞ヤ!若(なんじ)ヲ、、、
虞美人は、彼の言葉を遮った。
「― やめなさい!」
彼女は、男を叱った。
「せっかく、楽しいことを考えようと、言ったのに、、、もう、やめなさい。私のことを、歌わないで。」
虞美人は、項王の手を握り締めて、頼んだ。
彼女は、泣いてはならなかった。
泣けば、二人でこのまま崩折れてしまう。
たとえ世に容れられない二人であったとしても、彼女たちは生きていた。命ある限り、あきらめることなど、できはしない。虞美人は、項王にもまた、あきらめさせてはならなかった。
彼女は、男に言った。
「あなたには、大きな夢がある。あなたは、覇王じゃないの。自分の女や愛馬のことを、歌に込めてはだめよ、、、もっと、大きく。もっと高く!」
彼女は、優しい目をして、項王に莞爾(にこり)とした。
項王は、彼女に見つめられて、言葉を繰り返した。
「もっと、大きく、、、もっと、高く、、、!」
彼は、悲しみに涙を流したことを、羞じた。
覇王は、誰よりも大きく、高くなくてはならない。
「そうだ。私は、天を目指すのだ―!」
彼は、今は涙を拭いて、目を閉じた。
外気は、冬の初めの暖かな、陽だまりの中であった。
空に低く雲が垂れ込める厳冬が来る前に、秋の名残りの空は、まだ高い。
彼の口から、歌が流れ出した。
大風起兮雲飛揚
越四海兮歸故郷
安得猛士兮守四方?
三句一聯の、楚の歌謡の形式であった。
彼は、もう一度、繰り返した。
大風起コリテ、雲、飛ビ揚ガル
四海ヲ越ヘテ、故郷ニ帰ル
安クニカ、猛士ヲ得テ、四方ヲ守ラシメンヤ?
項王は、歌い終わった。
虞美人は、彼の即興に、顔をぱっと明るくした。
「― いい。いい歌だね!」
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