「韓信、、、!」
項王にとって、決して見知らぬ敵の名前では、なかった。
韓信は、秦攻めの時代、郎中として彼と共にいた。
項軍の武勇の栄光に隠れて知れ渡っていないが、彼は項王を秦に勝たせるために、多くの献策を与えたのであった。
だが、新安の事件以降、彼は項王のもとから姿を消した。
そして、再び現れた時には、彼は漢の大将軍となって、彭城攻略戦の総指揮に当っていたのであった。
項王は、再び首を、横に振った。
「彼は、私を捨てて、漢に走った男だ。私と相容れる、はずもない。」
呂馬童は、主君の言葉に対して、首を横に振った。
「いえ!、、、彼はいま、漢王からも捨てられたのです。あの男は、身を置く場所を失っています。」
呂馬童もまた、韓信のことはよく知っていた。
彼が新安の事件より後に項王のもとを離れたことは、彼を知る呂馬童にとっては、やむをえない事であった。
そして、彼は楚にとって恐るべき大敵として、帰って来た。楚が漢にここまで追い詰められているのは、彼の軍略のたまものであった。項王は漢王と狭い中原の陣で争っているうちに、まるで囲碁の目を奪い取られるがごとくに、韓信によって周囲を取り尽くされてしまった。
(― だが、彼はついに、漢王にも容れられなかった!)
呂馬童は、それも当然だと思った。
韓信は、漢王の走狗であるにしては、才と力が世に秀ですぎていた。
そして漢王は、やはり秀でた狗を、蹴飛ばした。
しょせん漢王とは、そのような人物であった。
己の勝利だけが大事な、男であった。才を愛するよりも、才を搾り取ることが、彼の韓信を見る目であった。
呂馬童は、項王に言った。
「大王。あなたと韓信は、確かに違います。韓信は、あなたの配下となることは、できません。」
項王は、言った。
「そうで、あろう。」
呂馬童は、言った。
「しかし、あなたと韓信は、いつか必ず一つの敵を、同じくすることでしょう。韓信は、漢王に追い出されて黙っている人物では、ありません。彼は、必ず奮起して、斉を奪い取るでしょう。そして、この天下であなたが共に漢と当るべき者は、ただ一人韓信があるだけ。彼を措いて、他にはいないのです!」
呂馬童は、思った。
(― 今の韓信ならば、我らと組める。)
項王と、韓信。
共に世に秀でた才を持ち、共にその才ゆえに世の人に疎まれる、この二人。
敵の敵は味方などという論理で、二人を併せたくなかった。
(― 二人を、組ませなければならない!)
それは、むしろ呂馬童の願いというべきものであった。
呂馬童は、項王に言った。
「韓信と、繋がる道を探しましょう。こちらが求めれば、必ず通じるはずです。」
項王は、彼の進言に、しばし黙考した。
それから、言った。
「、、、道が通じるならば、考えよう。」
項王は、呂馬童の進言を容れた。
彭越や田横と、韓信は違う。
項王もまた、そのことを認めた。
こうして呂馬童は、何とか韓信と連絡を付ける道を探そうと、躍起となった。
しかし韓信は、漢軍の組織の中にいる。
周囲は、漢から派遣された諸将や百官に、取り囲まれている。
呂馬童は、武勇の人であった。外交の手腕など、持ち合わせていない。
その彼が韓信と密かに連絡を付けることなどは、望みはしても、手掛かりすら掴めなかった。
(だめだ、、、私では。)
しかし、項伯に頼むことは、したくなかった。
途方に暮れる彼に、ある日伝令の兵卒が、彼宛ての書簡を送り届けて来た。
呂馬童は誰からの書簡であるかを伝令に聞いたものの、その答えに要領を得なかった。
彼は不審に思い、封印の泥を切って開いた。
このように、書かれてあった。
韓信はやがて斉に討ち入り、漢に叛く。
楚は南から兵を進め、斉軍を挟撃すべし。時は、韓信が平原津を渡るとき。
以上のこと、極秘に用意するべし。漢軍と、そして貴軍の項伯に知られては、ならない。
韓信の配下 蒯通
呂馬童は、飛び上がるように驚いた。
彼の密かな心中を読んだかのように、送り届けられた。
「何者だ、、、この蒯通とは?」
彼は、書簡の出し手を、怪しんだ。
だが、あまりにも不気味なほどに、こちら側の望みを言い当てていた。
彼は、この書簡を誰にも見られないように、懐の奥深くに隠した。
「蒯通、、、韓信の配下か。」
彼は、どうやって知ったのであろうか、呂馬童の意図をすでに掴んでいた。
正体は分からないが、恐るべき手腕の持ち主であることには、間違いがない。
彼の言葉が真実ならば、韓信はやがて平原津を渡り、斉を亡ぼす。
そして、もし韓信が漢に叛くならば、すなわち楚と結ぶことができるではないか。
呂馬童は、これに賭けるより他はないと、感じた。
「道が見えたか。それとも、死への道か、、、否!座して待っていた方が、死だ!」
彼は、密かに動くことを、決意した。
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