「博浪沙の件の日から以降、私は外界のことを何も知りませんでしたが、私たちに対する秦の捜査の手は苛烈を極めたということです。
全国の郡役所と県庁を動員して、下手人探しが行なわれました。それなのに、私は当局に発見されませんでした。それは、下邳の父老たちが私をかくまってくれたのです。
彼らは、表面では秦の地方政府に従っていましたが、楚を滅ぼした秦に対して、内心思うところがありました。それで、秦に対する反撃をなした私を奇貨として、当局の追及から守ったのです。私は、それから下邳のみならず楚の色々な土地を転々と行かされました。当局の目をごまかすためです。しかし、どこの城市や邑においても、私をかくまう勢力がありました。それは、裏の世界の者たちでした。私の行為を任侠に適う道として高く評価したのです。私と裏の世界との関わりは、この時から始まります。
楚が滅んでから、各地の郷里の父老たちや任侠の者たちの密かなつながりが急に盛んになり始めました。王国が存在していたときには上に貴族階級がいて彼らの領地がてんでばらばらにあり、土地ごとの間のつながりは全然ありませんでした。それが、王国が滅んで貴族たちが一掃され、秦の郡県制のもとに一律に支配されるようになった途端、楚人としての横のつながりが意識されるようになり始めたのです。当時から今に至るまで、私はこの見えない組織の中で守られています。
しかし当時の私は、目標を失って生きながら死んでいたも同然でした。
秦王は次々に政策を打ち出すのに忙しく、いつしか博浪沙の下手人の捜査もさほど重要事項ではなくなりました。私は、再び下邳に戻っていました。しかし、毎日を何もすることもなく、呆けたように過ごすばかりでした。ほとんど、私の横に相変わらず付いていてくれる麗花の世話になっていたようなものです。
そのような私を再び生きる世界に引き戻してくれたのが、黄生でした。
ある夜、私が下邳の城内を所在なく歩いていて、橋のほとりに行きかかりました。
橋のたもとに、一人の老人が座っていました。彼は、私が前にさしかかると、私に見せるように自分の履(くつ)を橋のたもとにポーンと蹴り投げました。彼は、私を向いて言いました。
『孺子(こぞう)、俺の履が落ちた。拾ってこい。』
私はそれを聞いて、むらむらと怒りが起きました。しかし、彼は私の表情の変化を見て、さらに言いました。
『怒れる気力があるのなら、拾ってくるぐらいわけないだろう。さあ、拾ってこい。』
私は、気を取り直して川のほとりまで降りて、履を拾ってきました。それを見て、彼は言いました。
『そら、足に履かせろ。』
私は彼の足に履かせました。
ところが私が履かせた途端、彼はいきなり足を前に出して、しゃがんでいた私の顔をその履の裏で踏んづけました。私は、怒り心頭に発しました。しかし拳を振り上げようとした私の顔を相変わらず足で踏んづけながら、彼はにやりとして言いました。
『体まで動かせるようだな。ならば、五日後の早朝に、もう一度ここに足を運べ。俺もここに来る。』
こう言い残して、彼は高笑いをしながら、去っていきました。私は、顔を踏んづけられて土まみれにして残されました。
五日後の早朝、私は言われたとおりに再び橋のたもとに行きました。すると、すでに五日前の老人は同じ橋のたもとに座っていました。彼は私を見て言いました。
『年長者を待たせる奴があるか。もう一度よく考えて、五日後の早朝に出直してこい。』
そう言って、ぷいと立ち去りました。
すでに冬で、夜は大変寒い日が続いていました。しかし私は、五日後の日には夜半前から橋に出向きました。
橋のたもとに立ち、寒空の下で私はじっと待っていました。北風が吹く寒さの中で、これまで朦朧としていた私の心中も縮み上がるようでした。一刻ほどすると、再び五日前の老人が、橋の向こうからやってきました。彼は、私に近づいてこう言いました。
『よし。張子房― お前はまだ、生きている。』
つまり、老人は黄石公すなわち黄生でした。彼は私を再び揺さぶり動かすために、芝居を打ったのでした。彼もまた、素性を隠して裏の世界に生きている人間でした。
黄生は、私を彼の隠れ家に連れていって、私に言いました。
『お前は、一つのことを成した。お前の復讐は、これで十分だったであろう。これからは、別の人生を歩め。今、この楚の世界は見えない所でかつてないほどの変動が始まっている。これが一体将来どのような結果となるのか、予想もつかない。お前は、これからこの新生しつつある楚のために力を振ってみろ。』
黄生にそのように言われて、私の目は覚めました。
青春を賭けた復讐の事業が全て過去のものとなった私には、もはや何一つ心を縛るものがなくなりました。私はそれ以降名を変えて、積極的に各地の郷里の父老たちと交流し、同時に裏の世界の者たちとも関係を結ぶようになりました。表は一商人として身を隠し、この下邳を中心に楚の各地を回る生活を始めたのです。
私の目を覚ました黄生は、巨大な碩学でした。彼は、孔子以来の各派の諸学問全てに通暁しています。もちろん、兵法もです。私は、彼の下で諸学を学ぶことも平行して行ないました。
私がこうして楚人たちと交わるようになると、これまで見えてこなかった隠れた実情が見えてくるようになりました。
秦は六国の政府を滅ぼして、全ての土地を首都咸陽からの一元的支配の構造に作り変えてしまいました。
これまで六国には朝廷があり、貴族がいて、貴族が領地を持ってそれぞれの人民を支配していました。人民は、この縦の構造の中で生きてきたのです。
ところが秦は各国の貴族階級を一掃し、代わりに郡と県を置いて支配する体制を敷きました。そこには、頂点に立つ皇帝と、彼だけに忠誠を誓う中央と地方の高級官吏がいて、後は全ての人民が庶民という一階級に均(なら)されてしまったのです。そして郡県に中央から派遣される命官たちは、地元の郷里の社会とは何のつながりもありません。こうして、一番下の郷里の社会は、より上の段階の政府との関わりを断ち切られてしまったのです。首都の咸陽から、一方的に郡県を通じて徴発の命令を受けるだけの存在となりました。
しかし、このように社会が激変したとき、以前の王国では貴族を通じて縦に支配されていた郷里の社会が、にわかに横のつながりを意識するようになりました。貴族たちがいなくなったとき、人民は始めて自分たちが同郷の者であることを知るようになったのです。
秦の中央は、郷里の社会の事情など一切無視して全国一律に法を施行します。中央から派遣されてくる命官たちの目は咸陽だけに向けられていて、地元のことは眼中にありません。このため郷里の者は、必然的に自衛自助のために横のつながりを持たざるをえなくなったのです。
旧楚王国の世界では、年を追うごとに郷里ごとの横の連絡が密になってきています。私は、淮陰の父老とも、そのようにして関わり合いを持つようになったのですよ、韓子。あなたのことは、以前淮陰の父老から聞いていました。『一番の能力があるのに、道を見失っている男がいる。通常の道の生業では、生きていけそうもない。どうかよろしければ、楚の将来のために役に立つ人間にしてやってくれ』と。だから、私が淮陰であなたに会ったとき、これはあなたの人物を見てみる機会だと思ったのです―」
張良は、全てを目の前の韓信に明かした。彼は、目の前の男の驚くべき過去を知った。
ここまで張良が語ったとき、後ろに控えていた麗花が、口を挟んだ。
「私は、生まれた時からこの公子と共に生活してきました。
私が小さな頃、公子は私の家族の前で、いつも苦しんでおられました。今日も何もなすところなくして一日を終えてしまったご自分の不甲斐なさを、いつも呪っておられました。私は、その哀れに過ぎるお姿を見ながら、幼くて何もしてやれない自分が悲しくてしようがありませんでした。だから公子が私たち家族に別れを告げたとき、これまで何もできなかった私は、このお方のもとを去るわけにはいかないと思いました。それで、父と共に残りました。
博浪沙の件が失敗したことを聞いたとき、すでに足を悪くして動けない父は、死のうとして下邳の川そばまで私に連れられて参りました。しかし私は、父に申しました。『私は、まだ死ねません。公子が命尽きるまで、死ぬに死ねません。まだ私は、何のお役にも立っておりませんので』と。父は、その時笑って私に後のことを頼みました。それから、従容として川に身を投げました。
私は公子が戻って来られたとき、嬉しくてしようがありませんでした。公子は長い間ご自分で何もできない状態でおられましたが、私は公子をかくまおうとする人たちと共に、必死でお仕えして参りました。今、公子は新しい生活を始めておられます。それで私もまた、このお方に付き従って、今ここにいます―」
彼女は、この公子に生涯付き添うつもりであった。
二人は韓の宰相の家、張家に残った最後の主従であった。



