この世界が世界である限り、いかなる土地に行こうとも、春は麗しい。
冬の間は、空は寒々として広く、地平線の彼方まで見渡せたものだ。ところがその視界が、春になるとにわかに曇って遠くの景色が見えなくなってきた。また冬の間には、荒涼とした景色の中でわずかに叫んでいた冬鳥の声が、遠くからもこちらに届いていたものだ。それがどうしたことだろう。遠くの鳥の声が、聞こえなくなった。その代わりに、家のすぐ裏にある林の桃や李(すもも)の木々から、春を告げる小鳥たちの声が流れてくるようになった。見るものも、聞こえるものも、世界がぐんと狭くなったようだ。だが狭くなって、それで十分なのだ。春は、鳥獣草木に虫たちがみな一斉にざわめき始める。その生き物の何重にも重なった声と声で、遠くまで気を配っていてはおちおちと休んでもいられない。とにかく、春の季節であった。
清明(せいめい)という節気がある。
戦国時代から中国では、一年の季節の節目として二十四気を割り当てて暦の目安とした。春分もまた、その二十四気の中のひとつである。清明の節季は、春分の次に来る。春分の日の十五日後と定められている。現代ではこの清明の日は、祖先の墓参を行なう日となっている。いよいよ春めいたこの日に家族揃って城市(まち)を出て、郊外の野にある祖先の墓に墓参する。死者は霊を子孫によって鎮められ、生者は郊外の春のいぶきを持ち帰る。
この行事のこころは、死者と生者が共に慰められるところにある。清明に墓参した家族たちはこの日は大いに食べて、そして大人どもは結局大いに飲むのである。清明の日の外出に限らず、春の野に皆で繰り出す遊びは唐代以降に踏青(とうせい)と呼ばれるようになった。中国大陸に生きる人々が、春になれば自然に行なっていた青草を踏んで出かける野遊びに、名前が付いたものであるに違いない。
そういった民が自然に春を喜ぶ酒宴が、沛の郊外のとある桃林でも行なわれていた。蕭家の祖先の墓参を済ませた後の、一族の長幼が集まった宴であった。
温かな日であった。
昨日まで雨続きで、今日の墓参も野宴は無理かと思われていたが、今日になると朝から天気は晴れた。土に残る湿り気のために日が昇ると蒸し暑いほどの陽気であった。それでも時折吹く季節風は、快適な調子を人の肌に与えていた。午後にもなれば、湿気もほどよく抜けてまさに素晴らしい外出日和となった。
一族が集まった野宴では、長幼の序が厳しく守られる。
子供や年若の者たちは、大人に給仕をする役である。人の父母となって、始めて給仕をされる側に回ることができる。しかし結婚したての若夫婦などでは、まだ一族の下っ端である。彼らの父母がいる。おじ上やおば上がいる。祖父や祖母まで、まだ生きているかもしれない。その上祖父の兄弟から分かれた家族にも、また年長者がいる。まだ年の経たない夫婦ならばこのような年長者の面々にいろいろと気を配って大変で、宴の楽しさも中ぐらいだ。長幼の序を家の中で守ることは、わざわざ儒家に言われなくとも中国の人民は体で知っていることであった。これがあるから、中国は周辺の野蛮国と違って秩序があると昔から誇っているのである。
蕭何も、まだまだ年長者たちに給仕する役目の年齢であった。
彼は若年ながら、沛県の主吏である。
現地採用の属吏たちの中では、一等上の階級に昇任している。時に県令の代理として、県の公用馬車に乗って県内の各郷里を回り、法を布告する職務を行なうこともある。彼の出身の豊(ほう)にも、馬車で乗り付けることがあった。その時には、父老が丁重に蕭主吏さまをお出迎えする。しかし、そのような主吏さまであっても、蕭家の中に入ればまだ結婚もしていない孺子(こぞう)の一人にすぎなかった。
「何よ!」
叔父上が、酌をしに回ってきた蕭何に対して、声をかけた。
「今だから言うけれどな、お前の父親に、お前を沛の塾に入れるように勧めたのは、この俺だ。兄は、息子を武人にしたがっていた。しかし、俺は兄に言ったんだ、『武人なんて、たとえ剣や弓矢が上達したところで、人に使われるだけだぞ。官吏がいちばんよい。人を使う職業は、何と言っても官吏だ。官吏となるためには、読み書き算術がきっちりできて、その上に礼儀作法ができていなければだめだ』ってな。この俺の説得が効いて、お前は塾に入れられたんだ。そのうち、時代は大きく変わった。武人など今の時代には、何の役にも立たない。官吏が幅を利かせる時代となった― どうだい、お前は俺に救われただろう。お前には剣よりも刀筆の素質があったんだ、、、ん、よしよし。注ぎ方が上手になったじゃないか、、、さぞかし役所でもまれているようだな?― 今やお前は、蕭家の出世頭だ、、、」
横にいた彼の兄、つまり蕭何の父親が、ぼそりと口を挟んだ。
「楚が残っていれば― 武人にも道があったのだわい。」
叔父上は、兄に返した。
「もう済んだことをくよくよと言うんじゃないよ。もう秦の時代だ。秦は、法にことのほか厳しい。剣を振り回して偉くなれる時代は、もう過ぎたんだ。真面目に生きていくしか、道はない。その秦で一番偉くなれるのが、官吏じゃないか!」
このような年長者たちのやり取りを聞きながら、若い蕭何は「はい―」「はい―」と言って頭を下げて酌をして回った。叔父上が言うとおり、彼は県庁でも宴会の進行係を多くこなしていた。だから、給仕は手馴れたものであった。今はもう主吏であるから、県庁の宴会では自ら給仕する役割からは外れている。しかし、ときどき配下の者が宴席でぼさっとしているのを見かねて、自分の役割の手が空いたら宴席に入って賓客に食事を運んだりするのだ。そのような彼を、威厳がないと辛く見る者もいる。しかし、まだ若い彼に威厳を持てというのが、無理な相談というものであった。
叔父上が、言った。
「この何はまだ若い。そのうち、咸陽に進出するかもしれない。咸陽では各地から昇進してきた官吏が、にわか分限となって裕福な暮らしをしていると聞くぞ。これまでこの蕭家は大して出世した先祖がいなかった。こいつがひょっとしたら、蕭家始まって以来の出世をするかもな!」
別の叔父上が、答えた。
「どうだろうかな、、、この子は、気が優しい。官界というのは、上に行けば行くほどえげつない所なんだぞ。この子のためにも、あまり高くにせっつかせない方が、良くはないか?」
さっきの叔父上が、返した。
「そうだな。うまいこと儲けて、うまいこと、逃げる。役所が嫌になったら、戻って来て畑を耕してもいいわけだ。だがその前に、耕す畑の枚数を多少は増やすべきだな。何よ、お前は今よりもっと出世するだろう。家を大きくして、しかし罪を受けて家をつぶさないようにする。お前は、それを心掛けなければならん、、、ところで、何の嫁はまだなのかい、兄上?」
(ああ、やっぱり嫁の話が出た、、、)
蕭何は、心の中で思った。
最近、郷里でも県庁でも彼にこの話題を出す人間が、加速度的に多くなってきた。蕭何は、県の主吏として上層部のおぼえがますますめでたい。そのうち中央に引き抜かれるだろうと、噂する者もいる。それで、これまでは豊の蕭何と言えばぱっとしない若者として沛県の大人たちも注目していなかったのが、この頃にわかに彼がどこの家と姻戚関係を結ぶのかということが話題となり始めてきた。
当の蕭何は、最近の風向きの急変を内心煙たがっていた。いや、実を言うと心の底から煙たがっていたわけではない。単に、慣れていないので戸惑っているのだ。同郷の劉邦とか同じ沛県の官吏の曹参とかと違って、自分は容姿の見栄えもしないうらなり男だと、少年の頃から自己規定し続けていたからであった。
叔父上が、蕭何の父に言った。
「鄒家の娘など、よいのではないか?」
同郷の鄒家の、阿瑾のことである。年は十五。結婚話を煙たがっている蕭何であったが、彼女の名前が出るとうろたえてしまった。
「お、叔父上!そんな話は、、、やめてくださいよ!」
しかしもう一人の叔父上が、割り込んだ。
「いや、こいつにはあの娘はもったいないよ。」
さっきの叔父上が、返した。
「何を言うか、こやつは蕭家の誉れだ。もったいないことがあるか。」
蕭何の父までが、言い出した。
「確かに何にも、そろそろ嫁が必要な年頃だ。嫁をもらわなければ、立派な大人とはいえない、、、」



