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三 陰陽二樣(2)

(カテゴリ:102伏龍の章

物語の時間を、元に戻す。

今日蕭何は、郷里の豊に戻っていた。
豊は、沛の城市の西にある、城壁もある大きな集落であった。
豊を取り巻く畑の麦の穂は、色づく前の最後の成長期に入っていた。すでに季節は、晩春になろうとしていた。ここまで麦が成長すれば、刈入れまでまずは一安心であった。誰かが、横から勝手に刈り取りでもしなければのことであるが。
今日の蕭何は、非番日であった。真面目な彼は、農繁期などは非番日でも家の農作業を手伝うことすらあった。もともとは彼も農民の子である。官吏になったといっても、家が忙しければ手伝おうという人情を起こさずにはいられなかった。そこが劉邦とは違うところだ。劉邦などは、亭長の非番日になってもほとんど実家に帰ってきたためしがない。

劉邦がまだ亭長になる前、遊び人であった頃のことであった。
彼はつまらぬ罪を犯したために、逃げ回っていた。だが時々長兄の家に客人を連れて、何食わぬ顔で帰って来た。長兄の劉伯は父親の劉太公に似て、気の弱い人間であった。弟がやって来て頼むと、置いておかずにおれなかった。それで、兄嫁が彼らの飯の世話をすることが何度もあった。
だが彼女は、この義弟が大嫌いであった。ろくに家の仕事も手伝わずに、城市のいかがわしい連中と遊んでばかりいる。そのくせこんな時になるとぬけぬけと帰ってきて飯をたかる。しかも一人でなく、何人か連れてくる。何様のつもりだよ!、、、というわけで、あるとき劉邦がまた客人を連れて来たときに、彼女は言った。
「ほら、飯はもうないよ!」
と言って、釜の底を柄杓でゴシゴシ引っかき回した。そう言って、ぷいと家を出てしまった。
兄嫁が出て行った後に、釜の中を覗いてみる。羹(あつもの。スープ)は、まだ残っていた。食いたきゃお前らで勝手によそえ、私に給仕させるんじゃないよ!というわけだ。これで、劉邦は客人たちの前で、大恥をかいた。後ろで劉邦の逃避行に同行していた廬綰が、忍び笑いをした。
彼女の産んだ息子― つまり、劉邦の甥であるが― を後に封建して、劉邦が与えた名は羹頡候(こうかつこう)。「頡」とは引っかき回すと言う意味である。当時の劉邦は兄嫁に恥をかかされて怒ったのであったが、彼こそが怒られても当然の道楽者であった。彼はその当時沛の王陵の下に付いて遊んでいたが、この頃以降魏に赴いて、実力者の張耳の下に転がり込んだ。真面目になるのではなく、ますます任侠の世界の奥に入り込んだわけである。
そのような劉邦なので、沛の城市の評判とは裏腹に、ここ郷里の豊での評判はいまだに極めて悪い。どうして奴が亭長になれたのか、豊の人間は今でも不思議がっているぐらいだ。いっぽう、蕭家の何は大いに評判がよい。豊で一番の器量良しである鄒家の娘が彼の嫁候補に噂されるのも、別におかしくはない郷里の雰囲気であった。

だが、一家と共に野に出ていた蕭何の心中は、浮かれることがなかった。
今年もまた、郡内への徴発があるのは確実である。それだけならばまだ何とかなるが、中央から伝え聞くところによれば、首都咸陽のさらなる拡充計画が持ち上がっているという。咸陽の南の阿房の土地に、空前の大きさの宮殿を中心に置いた新都心が建設される計画らしい。その規模は、現行の城市とほぼ同じものになると漏れ伝わってきている。
蕭何は咸陽にまだ行ったことがないが、去年東南の郷里の刑徒を引率して咸陽まで行って帰ってきた劉邦の話によると、すでに今の時点で都は途方もない規模であるという。彼は帰ってきて、県庁の属吏たちを武おばさんの酒場に集めて土産話をした。劉邦は、興奮しながら身振りを交えて語って聞かせた。
「とにかくすごい。あんな城市は、見たことがない。一生に一度は、見るべき価値がある。丁度俺が咸陽の東の関にさしかかったとき、城門から皇帝が車に乗ってお出ましなすった。咸陽はちょうど川べりの盆地にあるから、関から下の城市のようすがよく見えるんだ。黒ずくめの衛兵がずらりと並んで、車が出る。むかし皇帝が彭城に行幸してきたときもすごかったが、咸陽のものはもっと多かった。その上、衛兵の動きは機械みたいにぴしぴしと右を向いたり左を向いたりするのさ。俺は、そのとき心から思ったよ。一生に一度でいいから、あんな軍団に率いられて、車に乗ってみたいもんだ。まさに、『大丈夫、かくあるべし』というもんだな、、、!」
その時は劉亭長の話を皆で感心したり、笑ったりしながら聞いたものだった。しかし、今それと同じ規模の新都心を造営する予定があると考えれば、蕭何の心はもはや笑っていられなくなった。
(せめて政府ももう少しゆっくりやればいいのに、、、何をこんなに急いでいるのだろう?皇帝は不老不死の薬を取り寄せて、永遠に生きるんだろう?― だったら、百年ぐらいかけてやればいいじゃないか?)
蕭何は、心中でこのような不敬の意見を思い浮かべた。実際、始皇帝の永遠に生きたいという願望と生き急ぐかのように立て続けに打ち出す事業とは、誰の目から見ても相矛盾した精神であった。
(― 『咸陽へのつてが開けるかもしれない』か、、、)
蕭何は、うららかな春の日が照る畑の脇で刈入れ用の鎌を研ぎながら、県令の話を思い出した。
前で砥石に水を掛ける役の小さないとこが、蕭何に言った。
「表兄(にいさん)、鄒さんちの阿瑾と結婚するの?」
蕭何は、いとこの質問にあわてて顔を上げて、否定した。
「だ、、、誰がそんなことを言ってるんだ!違う、違う!」
「でも、うちの父上も、言っているよ。」
「叔父上がそうおっしゃっても、本人の私が何も聞いていないことだ!だから、関係ない!」
いとこは、少し考えた後で、蕭何に言った。
「うーん、、、そうか。表兄が阿瑾と結婚するんだったら、言っとくべきだと思ったんだけれどな、、、三日前、阿瑾は劉季さんと会っていたんだ。裏の森で。」
「劉季と?」
「そうだよ。三日前だけじゃないよ。その前も、二人で同じ場所にいるのを見た。」


ちょうど同じ頃、豊の裏手の森。柏(このてがしわ)がこんもりと茂った、暗く目立たない場所であった。
森の一角から、音楽が聞こえてきた。
一人の男が開けた所に敷布を引いて、瑟(しつ)を弾いていた。古来から中国で演奏されてきた、多弦の琴である。華麗な音色を出す洋琴とは違い、東洋の瑟はまさしく幽玄な響きのする音色であった。
曲を演奏し終わった。横から、若い娘の声が聞こえてきた。
「劉兄は、音楽までたしなまれるのですね、、、知らなかった。」
「昔、魏にいた頃にちょっと習っただけだ。大したことはない。」
男は、劉邦であった。そして彼女の横でうっとりとしている美しい娘は、鄒家の阿瑾であった。阿瑾は、棟の底からしぼり出すようなせつない声で、劉邦に話し掛けた。
「この瑟をこっそり家から持ち出すとき、どきどきしました。でも、家では飾っているだけで、父も誰も弾けないんです。」
「昔の人は、十戸しかない邑でも音楽を楽しんでいたそうだ。今の人間のほうが、昔よりも程度が低くなっている。この瑟も、飾りにしか使えない。俺はそんな奴らが威張っているこの豊の邑が、嫌いなんだ。」
「私は、秦に行ってみたいな― 咸陽に住んでみたい!劉兄、咸陽に行かれたんでしょ?どんなところだった?」
「― 仰々しくて、重苦しい都だったな。しょせん、刑徒を鞭で叩いて作った城市だ。彭城のほうが、ずっといい所だよ。」
劉邦の評を聞いて、娘はちょっとがっかりして眉をひそめた。気にせず、劉邦は立ち上がった。
「さてと― 今日はそろそろ帰るか。」
「もう?まだ真っ昼間じゃないですか。」
「悪いが、沛に行かなくてはならないんだ。― その瑟も、父上が畑から帰って来られる前に、家に戻しておかなけりゃならないだろう?」
「は、、、はい。」
(毎日、劉兄にこの瑟を弾かせてあげることができたら、、、)
そのように阿瑾は思ったが、早くも劉邦は敷き布を畳んで、森を出ようとしていた。阿瑾は、あわてて彼の跡を追って行った。
二人は柏の森から出て、南北に通る街道に向った。北へずっと行けば、やがて魯に向う。南に行けば、豊の門前だ。公用馬車が、待たせてあった。亭長が公用として沛に上るために県庁から寄越してきたものであったが、見事に彼は私用に使っていた。彼女を門前まで送って、それから沛に行くつもりであった。
だが馬車に乗ろうとした劉邦たちに、思いもかけぬことが待ち受けていた。

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各章アーカイブ

           
第一章 兵法の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 宦官の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


                      
第十章 垓下の章



終章~太平の章