いきなり祝いの言葉を言われた劉太公は、何のことだかわからなかった。
呆けたような顔を、孔巫女に向けた。
その太公に、かまわず孔巫女は畳み掛けた。
「それがし、豊に広まっている噂を聞き申した。劉家の媼に宿った種は、ただごとではないと。それがし見るに、劉家に宿った種によって、この豊の土地の気は大いにゆらいでおりまする。あたかも、今年四月には日蝕がござりました。天がどよめくならば、地にも必ずや力を及ぼさずにはおられませぬ。日月星辰の徴(しるし)とは、そのようなものなのでござりまする。そこで、それがし大いに心苦しみ、天の意思がいずこにあるのか知らずばなるまいと思い為して、斎戒沐浴をばして卜占を立てたのでござりまする。ところが、それがしも驚いたことに、卜したその結果は―」
「、、、結果は?」
「『乾為天』の卦を得たのにござりまする。このような、卦です。」
孔巫女は、懐から筆と墨壷を取り出して、太公の前でさっさっと横線を書き始めた。
六本、全て陽。これが、「乾為天」の卦である。
易のことなどさっぱり分からない太公は、巫女に聞いた。
「、、、まれな卦なのですか?」
「まれな卦です。彖(たん)伝に曰く、
大いなるかな乾元、万物資(と)りて始む。すなわち天を統(す)ぶ。雲行き雨施し、品物形を流(し)く。大いに終始を明らかにし、六位時に成る。時に六龍に乗り、もって天を御す。乾道変化して、おのおの性命を正しくし、大和を保合するは、すなわち利貞なり。庶物に首出して、万国ことごとく寧(よろ)し―
と。」
孔巫女が言っているのは、『易経』の彖伝であった。周の文王と周公が、『易経』に象・彖の両伝を付け加えて解説した。いにしえの聖人が著したこれらの解説を熟読することによって、易の奥義を知ることができるのである。孔巫女は、文王と周公が明らかにして孔子が集成したと伝えられる、易法の真髄に通じていた。
「『乾為天』は天の形。龍が田地から天空に昇り行く卦面でござりまする。ただごとではない種とは、このことでござったのか― お喜びください。その子はまさしく、天の蛟龍が命じてこの地に運び下ろした子に、相異ござりません。」
何だかよくわからなかったが、兎に角とてつもなくめでたい卦であるというのである。太公も一座の面々も、あっけに取られながら、巫女の託宣の言葉に巻き込まれていった。
孔巫女は、ますます調子を上げて、さらに占いの結果を続けて告げた。
「しかも、それだけではござりません。その上、六爻(こう)の九五は老陽でござりました。」
「、、、な、何なのでございますか?それは?」
「老陽は転じて陰に変化いたしまする。このように、なりまする。」
彼女はそう言って、さっき書いた卦の横に、再び別の卦を書き始めた。
易の六十四卦とは六本の陰陽すなわち六爻の組み合わせであるが、詳しくは陰陽にも細かい分類がある。それは老陰・小陰・老陽・小陽の四通りであって、このうち老陰と老陽はそれぞれ陽と陰にやがて変化すると解釈される。それで、孔巫女が出した卦の下から五本目の陽、すなわち六爻(こう)の九五が老陽であったので、彼女はそれが陰に変化した卦面を書いたのであった。
かなり上等な敷物の上に、彼女は構わず墨で書いていた。だが、巫女の勢いに押されて、この家の主はとがめ立てするのも忘れていた。
「『火天大有』の卦で、ござりまする。『乾為天』としてまず現れた天意が、転じて『火天大有』に之(ゆ)く。これが、天意の究極に赴くところなのでござりまする。卦に曰く、
大有は、元(おお)いに亨(とお)る。
『火天大有』の卦とは、太陽の火が天の上にある姿。大有とは、全てを保有する意でござりまする。尊貴なる君主が、あまねく地上を照らす形でござりまする。君主は、ただ居るだけで万物を調和せしめ、天下全ての所有者となりまする。それがし、これまで卜占を立ててきて、これほど大吉の卦を得たことは、いまだかつてござりませぬ。『乾為天』を得たからには、子は蛟龍の種。『火天大有』を得たからには、火徳の赤帝を継ぐ子でござりましょう。すなわち、まさしく劉家の種は、蛟龍赤帝の子でござりまする。やがて、田地から風雲を得て九天の高みまで、昇る運命となりましょう。女児ならば、最高の貴人の褥(しとね)に招かれる運命となりましょう。しかしもし、男児であるならば―」
「男児である、、、ならば?」
「― その時は大変でござりまする。自ら昇龍となりて、どこまでも高く高く昇っていくこととなりましょうぞ!」
果たして孔巫女が、本当にこのような卦面を得たのかどうか?それは、誰も知らない。しかし、彼女の占いが恐ろしくよく当ることは、すでに豊の人間の誰もが知っていた。卜占は、当時の人間にとって迷信ではなくて科学であった。ましてや、田舎の農村である。自分たちの知らない世界を知っている巫女の託宣は、劉太公を始め中陽里の者どもの空気を一変させるのに十分であった。
巫女は、最近の郷里の気のあやしげな乱れを巫女ゆえに敏感に感じ取った。それで、天と交感することにより郷里の病を解決する法を得たのであった。
「蛟龍の子だわ!赤帝の子だわ!お喜びなされい、太公どの。祝いたまえ、郷里の衆!さあさあ祝った祝った!」
いつの間にか、中陽里はおろか他の里からも人がやって来た。座は、即席に蛟龍の子が劉家に宿った祝いとなってしまった。太公は、わけのわからないうちに大吉の運命が自分にやって来たことに、すっかり上機嫌となってしまった。里の内外の者が、彼に祝いの挨拶をした。劉家に今度宿った子は、蛟龍の裔で赤帝の子。これが、皆の衆の合言葉となった。酒が持ち込まれた。それは、郷里の気の乱れが一挙にほぐれた、安堵の祝いであった。
孔巫女は、即席の祝いの席で、踊り始めた。巫女の発する超日常的な勢いに、田舎の男たちはすっかり当てられてしまった。皆が、どっと笑い出した。巫女の踊る魯国伝来という古代舞踊は、奇怪にしてかつ神聖であった。この頃まだ若い孔巫女の動きは、むしろ妖艶ですらあった。彼女の舞踊に、皆が手を叩いて拍子を付けた。終日、中陽里は大変な騒ぎであった。
こうして巫女は、忌まわしい姦通の嫌疑を、笑いの中に埋もれさせてしまうことに成功した。やがて、劉媼は男児を産んだ。大吉の運命を持つ、赤子であった。同じ日に中陽里の廬家でも、男児が産まれた。人々は吉祥をますます信じ、羊と酒を持ち寄って祝った。孔巫女が言った「蛟龍の子、赤帝の子」という言葉は、いつのまにか劉家に産まれた男の子について語るときの、枕言葉となっていったのであった。



