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五 蛟龍の子(2)

(カテゴリ:102伏龍の章

後世司馬遷が著した『史記』高祖本紀に、こう書かれている。

高祖は、沛の豊邑中陽里の人なり。姓は劉氏にて、字は季なり。父は太公といい、母は劉媼という。その先劉媼はかつて大澤の陂(つつみ)にて息(やす)み、夢に神と偶(あ)う。このとき雷電して暗冥し、太公往きて視るに、すなわち蛟龍がその上にあり。すでに身(みごも)りて、遂に高祖を産む。

漢の高祖が蛟龍赤帝の子であるという伝説を、司馬遷は沛に足を運んで聞き取った。後世、伝説は上のような筋立てとなったのであった。
しかし、これは劉邦があれよあれと言う間に皇帝の位に昇った現実を地元の者どもが見て、その不思議を何とか自分たちの頭で理解するために、伝承が伝承を重ねて構成されたものであったのであろう。真実は、どうであったか。この物語では、これまでに書いた顛末であったとしておこう。郷里の気の不穏な乱れが、巫女の機転によって回復された。そのことへの安堵の心が、伝説の核を作り出した。ずっと後世、ただのやくざ者に育った蛟龍赤帝の子が一転して天下を保有する英雄となったのを見て、生き残りの民たちの記憶が呼び覚まされた。しかも、形を変えた伝説となって。実は、劉媼が誰かと交わっていた姿を太公は目撃していたのかもしれない。それが、『史記』の叙述の内容となって現れた。しかし、それはもはや郷里の民の総意として、過去に置き去ったことであった。
しかし、当の孔巫女であるが、彼女と姜痴は劉邦が産まれて間もない頃に、豊から忽然と姿を消してしまった。
一時期地下で密かにささやかれていた、不気味な噂があった。劉媼は、姜痴と交わって孕んだというのだ。堤の上で、媼の上に乗っかかっている姜痴を見たという。いや、乗っかかっているどころか、むしろ媼が男の上にまたがり乗って、歓喜のさえずりをあらわにしていたとまで、言うのである。だが、噂の出所も、誰が目撃したのかも、全く明らかではなかった。その上、噂はその姜痴が孔巫女と共に姿を消してからずいぶん後になって、囁かれるようになったのであった。
真相など、わからない。たとえ秘め事があったとしても、劉媼は姜痴「とも」交わったという方が、真実に近かったのではないだろうか?しかし、時が経つにつれて、地下の噂は彼「と」交わったという筋に固まってしまった。姜痴が間もなく姿を消したので、噂は遠慮なくこの男だけを標的とした。それが、郷里の者たちにとって安全策であった。自らの過去の罪科を封印すると共に、下品な噂を話の種として田舎の話題を楽しむ。それには消えうせた者をあげつらうのが、最もよい。その証拠に、産まれた劉邦は普通人より色白ではないか、、、しかし、これでは証拠というには不十分であった。やがて年月が流れ、人々はしだいに彼の顔すら皆忘れていった。

三十数年ぶりに豊に帰ってきた孔巫女は、劉太公のはからいによって門の脇の陋屋に住み着いた。
しかし、太公をさらに困惑させることがあった。
彼女は、あの姜痴もまた連れて帰ってきたのであった。老いてすっかり昔の面影を無くしていたが、あの不気味なほどに白い肌の色は、三十数年前と同じであった。そして相変わらず、誰にも一言も語らなかった。
もはや、当時のことを知っている人間の多くは死に、残された者たちもすっかり老いた。昔の地下の噂など、豊の若い衆で知っている者などはいない。劉家の一件は豊の邑では住民の総意として詮索しないことになっていたので、下の世代は当時の実情を聞かされてないのであった。この二人の老いた余所者が豊に住み着いたことは、人々にわずかに好奇の話題を振り撒いた。彼らは劉家の嫌われ者に昔何か関係があったらしいということも、思い出された。ついでに、劉邦が小さい頃「蛟龍の子、赤帝の子」と呼ばれていたことも。しかし、豊の大方の話題では、「劉季は、あの巫女に大吉と占われた子らしいな。どうりで、穀潰しが亭長などになれたわけだ!」といった笑い話で終わってしまった。
しかし、太公は心中苦々しかった。
(どうして、今さら帰って来た?― 済んだことのはずなのに、、、)
太公にとっては、済んだことのはずであった。二人が行方をくらまして以降、彼は産まれた劉邦を自分の子として育てた。産んだ妻も、以降は夫に対して甲斐甲斐しくなった。子は色白で愛らしく、この子が大吉の子かどうかなどはあの時巫女にだまされたのかもしれないが、しかしこれでよかったのだと自分に言い聞かせた。
しかし、ある時彼は郷里の地下で囁かれていた興味本位の噂を耳にした。そのとき、忘れようとしていることを蒸し返された気がして、心中に暗くて重いものが引っかかった。それで、劉邦は成長してから、父からの寵が他の兄弟たちに比べて見劣りがした。母はやがて死に、後妻が娶られた。親の心中のわだかまりが、無意識のうちに幼い子供に無数のすり傷を残した。劉邦が長じて家業を放ったらかしにして裏の世界に入り込む遠因は、おそらくそこにあったに違いない。
しかし、孔巫女がこの土地に帰ってきたのは、劉家の三男坊に会いに来たのではなかった。最近隠然たる力を伸ばしている、沛の劉邦と関わりを持ちに来たのであった。
(蛟龍の子は、呂家の後ろ立てをもらうに尽きるわ。あやつが呂家のみこしになれば、この辺で一番の力を持つだろうて―)
孔巫女は雨風を防ぐことすらあやしい陋屋で、姜痴と共にいた。
彼女は、邑の外の野で摘んできた、自分の商売道具を作っていた。蓍(めどぎ)といって、メドハギという雑草の茎から葉を落して作る。まっすぐな茎なので、これが元々易の筮竹として使われていた。後に南方で多く産する竹で棒を作ったほうが長持ちするので、竹に代用されていったのである。
孔巫女は、茎をしごいて葉を落としながら、姜痴に向けて言った。
「お前も、懐かしいか?― 蛟龍の子が。」
姜痴は、何も答えなかった。彼の顔は深い皺が寄って崩れ、昔の面影をすでに想像することもできなくなっていた。孔巫女は、返事もないままに言った。
「しかし、お前とあやつを関わらせるわけにはいかぬ。あやつには、大きくなってもらわなければならぬ。お前が入り込む余地はないわ。お前にとっては困ったものぞ、沛の劉邦が、蛟龍の子であることは―」
孔巫女は、五十本全て作り終えて、鄭重に袋に入れてしまった。
それから、姜痴に言った。
「― よし。盗られぬように、どこぞに隠しておくか、、、姜痴、付いてこよ。」
彼女と姜痴は、豊の門を出て、裏手の森に向った。
柏の森の中には、豊の社(しゃ)があった。
社とは、土地の神を祭る神社である。古代の中国では、神木や聖石を土地のご神体として祭ることが行なわれていた。これが、社のはじまりであった。各地の集落が自然に社を祭っていたのが、最も原始的な形態であった。時代が進んで国家が形成されると、諸侯貴族が祭る国の「社稷」が建てられるようになった。だがこの時代には秦の統一によって各国の社稷は廃されて、秦一国の社稷が咸陽にあるだけとなっていた。しかし各地の集落の社は、そのまま残っていた。
この豊の社は、むかし住民が魏国から移住してきたときに、置かれたものであった。典型的な古代の社の一つとして、春と秋には住民がここで祭りを行なった。春は豊作を祈願する祭りであり、秋は収穫の喜びを神に感謝する祭りであった。また時には住民の集会が社の前の広場で行なわれ、国家の使者から住民に法令が下される場所でもあった。蕭何もまたここで、豊の代表者の前で新しい法の布告を行なったことがある。しかし、普段は誰もいない淋しい森であった。劉邦たちが、この森をこっそり逢い引きの場所に使ったぐらいであった。
孔巫女と姜痴は、社の裏側にいた。巫女が男に命じて、目立たない奥の箇所に穴を掘らせていた。ひととおり、穴が掘り終わったようだ。巫女は、懐から一つのものを取り出した。
「かやつに、そのうち返してやらねばならぬの―」
きらりと光る、白色と緑色が混じり合った不思議な色合いの円盤であった。それは、玉で作られた見事な璧(へき)であった。

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各章アーカイブ

           
第一章 兵法の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 宦官の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


                      
第十章 垓下の章



終章~太平の章