«« ”十七 天下を取ろう(1)” | メインページ | ”十八 帝国の秋(1) ”»»


十七 天下を取ろう(2)

(カテゴリ:104動乱の章

「項羽、お前には妻子がいるのか?」

沛公が、戦の前の陣中の席で、項羽に聞いた。彼らは今、雍丘(ようきゅう)の辺りに進出している三川郡守李由の軍と、対戦しようとしていた。
項羽は、あわてて答えた。
「いっ、、、いいえ。まだ私は、若年です。妻も子も、おりません。」
沛公は、酒を一杯あおった後、また聞いた。
「だがお前ほどの美丈夫が、女の気がないとはどうも思えん。妾の一人や二人、いるはずだ。そうに違いない。俺には、わかるぞ。その通りだろう?」
項羽は、顔を赤らめた。だが彼は、酒など飲まなかった。
(なんと、可愛らしい子だな、、、)
沛公は、にやけて笑った。
項羽は、自分のことを置いといて、沛公に聞いた。
「は、、沛公は、もちろん妻子がおられますよね?」
沛公は、答えた。
「当たり前だ。だが今は、沛に残している。なかなか大した女でな、その辺の官吏どもよりもあいつが沛にいる方が、郷里の押さえとなる。だから、今の俺は軍中で一人だ。妾を連れ込んで、遊び放題ってわけよ。」
沛公は、大笑いした。項羽は、眉をひそめた。
項羽は、言った。
「沛に、、、早く帰りたいですか?」
沛公は、答えた。
「いいや。郷里なんて、戻っても鬱陶しいだけだ。生きているうちは、俺はどの土地を枕としても構わない。どうせ、死ねば魂魄は郷里をうろつくんだからな。」
項羽は、言った。
「私は、、、できれば早く彭城に戻りたいです。」
「彭城?」
「あれは、よい城市です。私は、あの城市を守るために、秦と戦っているようなものです。」
「ふうん、、、?」
沛公は、彭城を思い出しているかのような項羽が和やかな表情に変わったのを見て、だいたいの察しが付いた。
「― 女か。」
項羽はびくっとして、紛らわすように杯を手に掴んだ。乱暴に引き寄せたので、杯がこぼれた。もっとも彼の杯には、水が入っているだけであった。
沛公は、笑って項羽に言った。
「そんなに慌てるような、話題ではないさ。猛将にも、宝があるということだな。人間らしくて、いいぞ。」
項羽は、沛公に誉められて、顔を赤くして喜んだ。
「私は、私は、、、」
項羽は、語り始めた。
「― 私は、守るべきものを守るために、勝ち続けたいです。これからの戦も、必ず勝ちます。秦にも、必ず勝ちます。そうして天下の全てを、一新するのです。それが、私があの人と約束したことなのです。」
項羽は、もはや自分の慕う女のことを、隠そうともしなかった。
沛公は、彼に聞いた。
「勝って勝ち続けたら― お前は、皇帝にでもなるつもりかな?」
項羽は、答えた。
「皇帝なんて言葉、秦の使い古しです。私は、あんな百官を整列させて車で行幸するような、ふんぞり返った君主など掃いて捨ててしまいたいです。私は、生涯馬上で駆け回りたい。世界の果てまで、行ってみたいのです。私が天下を取ったならば、沛公、あなたは―」
項羽は、とても明るい視線で沛公を見た。
「あなたは、副王として土地の人民を慈しんでください。あなたは、素晴らしい人だ。私にはない大事な何かを、持っておられる。我が叔父の武信君は、子孫がおりません。私が、いずれ彼の後を継ぐことになるでしょう。私とあなたとで、天下を経営するのです。そのように、いたしましょうよ―!」
このとき楚にはれっきとした王がいて、彼らはその配下であった。それにも関わらず、いまの項羽は浮かれてそのような作りごとの組織などを、すっかり無視してしまっていた。沛公は、項羽の無邪気さに苦笑した。
沛公は、ふざけついでに言った。
「俺の方が、お前より年長だぞ。年長者を立てて、俺を王にしろよ。」
項羽は、かぶりを振った。
「― いいえ。私という人間は、人の下に立つことができないのです。沛公、あなたは有徳の長者であるからこそ、私の下で補佐していただきたいのです。私たち二人は、それが最もよいのです。」
沛公には失礼な言葉であったが、項羽には何の邪気もなかった。彼が言うと、年下でも許せる気持ちになってしまうのであった。それほどに項羽という人物は、純粋そのものであった。
項羽は、沛公に笑いかけた。整った、美しい笑顔であった。彼に好意を持たれたならば、誰もが魅力に参ってしまうのも致し方のないことであった。
沛公もまた、気分が良くなった。それで、笑って返すばかりであった。

雍丘の郊外で、楚軍と秦軍とが戦った。
沛公配下の曹参、樊噲、周勃らは、ここでも大いに奮戦した。
項羽は、配下の精鋭を率いて秦の車兵の列を次々に切り裂いていった。
これまで郡守として必死に敵の攻撃を防いできた李由も、もはや今回の戦は持ちこたえられなかった。
「― どうして、このようなことになってしまったのか?父上、私はもはやこれまでです、、、于嗟(ああ)!」
李由は捕えられ、斬られて果てた。丞相李斯の長男として栄華の絶頂にあった彼の命數は、始皇帝の死後秦がおかしくなると共に、下り坂をすべり落ちていった。
ここでもまた、楚の大勝利であった。このとき定陶の項梁もまた、秦軍を破っていた。天下の勢いは、秦の不利に傾いているように見えた。
これから後の戦は、また別の展開を見せることとなる。しかしながら、背後の秦の宮中においても、この頃不吉な激震が起こっていた。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://suzumoto.s217.xrea.com/mt/mt-tb.cgi/1096

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

          

各章アーカイブ

           
第一章 兵法の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 宦官の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


                      
第十章 垓下の章



終章~太平の章