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十八 帝国の秋(1)

(カテゴリ:104動乱の章

章邯という、思いもかけぬ名将の出現によって救われた秦帝国は、その後奮起して立ち直ったのであろうか?

そうではなかった。
その内実は、ますます退廃を深めていた。
二世皇帝胡亥は、当面の危機が去ったことを知って、― 自分の力で去ったわけではなかったが、いや、なかったがゆえに― すっかり安心した。結局、皇帝の法刑の威力には誰も逆らえないはずだという法家の理論が、証明されたのだと得心した。彼が知っている知識とは、趙高に教わった法家の理論、ただ一つであった。それ以外の政治のことなど、何も知らなかった。そして、知ろうとも意欲しなかった。
驪山の戦で章邯が陳勝軍を大破した後、丞相李斯が二世皇帝に対して奏した上書とされる文が、『史記』李斯列伝に長々と記録されている。李斯の子の三川郡守李由は、賊を防ぐことができずに函谷関を通す罪を犯した。彼を問責する使者が咸陽に繁く往来したのを李斯は恐れて、皇帝にこびへつらいの上書を提出したという。
その内容は、逆説論の連続である。

― 申不害いわく、『天下を保ってしかるに恣睢(ししょ。やりたい放題)せざる者は、天下を桎梏となしていると命じて言うべきである』。
― 韓非いわく、『慈母は、敗子(ばか息子)を持つだろう。しかし厳しい家は、格虜(反抗的なしもべ)がいなくなるだろう』。
― 倹節仁義の人が朝廷に立てば、放恣な楽しみは消えてしまう。諌説論理の人が君側にいれば、いい加減な話は衰えてしまう。烈士死節の人が世に顕彰されれば、淫蕩な遊びはすたれてしまう。ゆえに、明主はこれら三者を遠ざけて、ただ独り君主の『術』を操って、聴き従う家臣を制して明法を修める。これゆえに、君主はその身が尊く、その権勢が重くなる。およそ賢主たるもの、必ず世の通念を打ち払って俗信を削り減らし、己の憎むものを廃して己が欲するものを立てるのである。それゆえ、生きてはすなわち尊重の権勢あって、死してはすなわち賢明の諡(おくりな)を得るのである。

これらは全て、法家の統治論の範囲内で、通念を打ち破るために用いられたレトリックにすぎない。国家を統治するのは、善意でも仁義の力でもない。君主の「勢」がもたらす力を用いることが統治にとって必要かつ十分なのであって、君主はこの「勢」を法刑によって運用する以上の幻想を持つべきでない。このことを言いたいがために、法家思想はほとんど道家的とも言える逆説的な論理を展開した。李斯の上書の内容は、レトリックの集積である。そしてレトリックばかりを集めてつなげると、見事に二世皇帝へのこびへつらいの文章となってしまう。君主が権力に任せた快楽を追及することへの、理論的肯定である。
これを李斯が本当に上書したのならば、いったいその真意は何だったのだろうか?彼は法家理論しか知らない低能の胡亥に対して適当に喜ばせる上書を提出して、自分に対する難を免れようとしたのであろうか?それは、ありうることであった。彼は、丞相である。二世皇帝は、何もせずに遊んでいればよいのである。すでに、軍事作戦は発動されている。皇帝は、家臣が動くままに任せて追認すればよいのである。その方が、かえって都合がよい。李斯は、胡亥の能力に何の希望も懐いていなかったから、彼を低能の君主のままに棚上げすることを目論んでいたのかもしれない。それは、法家思想の理想国家の姿でもあった。
しかし、胡亥は絶対権力者であった。彼を操る者がいれば、木偶(でく)は口を開き始める。そして、口を開けばその言葉は絶対的な命令となって、全ての官民に振り下ろされた。丞相の李斯すら、その力から逃れることができなかった。
木偶を操る者とは、趙高であった。
陳勝が敗れて天下が「一段落」した頃、趙高は胡亥に言上した。
「天子が貴いゆえんとは、ただその声が聞こえるだけでありまして、群臣が尊顔を拝することができないところにあります。ゆえに、『朕』という称を用いるのです。」
「朕」という字には、「兆(きざ)し」という意味がある。すなわち、手掛かりだけがあって本体がいまだ現れないという意味が、別にあった。それで、趙高は皇帝たるものその一人称の「朕」の字にふさわしい存在でなくてはならない、と胡亥に解釈してみせたのである。もちろん、ただのこじつけであった。
趙高は、続けた。
「陛下はいまだ春秋浅く、諸事に通じておられるわけではありません。その御身で朝廷に坐されて、譴責挙用のご裁定に不当があれば、大臣たちに陛下の短所を示すことになりかねません。陛下のご神明を天下に示されるには、これでは不都合であります。今は、禁中に深くお籠りなさって、お手をわずらわせないようになさいませ。この臣と、侍中で法に通じた者が、いっさいの奏上を承ります。奏上が参りましたならば、ご下問のとおりに我らで裁決いたしましょう。こうして、大臣が疑わしきことをあえて奏上しないようになるでしょう。天下は、陛下を聖王として称えるようになりましょうぞ。」
何のことはない。全ての皇帝の裁決を、趙高に委任せよとの進言であった。
胡亥は、趙高に呪縛されていた。彼の言葉の裏にある悪意など、理解することができなかった。
彼は、あっさりと趙高の進言を承認した。
「それはよい。何もしないのは、朕のもとより望むところだ。朕は、これより大臣に会うことを一切取りやめることにしよう。」
胡亥は、趙高に全ての判断を丸投げしてしまった。
こうして、法家思想の理想とは少し違った権力の形態が生まれた。趙高が、事実上の皇帝となったのである。全ての政事を、趙高が裁決するようになった。もはや大臣たちも、趙高の意に逆らうことができなくなった。
高官たちは、ようやく苦慮の色を濃くしていった。
将軍馮劫が、言った。
「関東の事態は、もはや賊の反乱どころではない。帝国の全ての資源を動員して、鎮圧しなければ手に負えない。」
右丞相馮去疾が、言った。
「不急の徴発は、廃止するべきだ。阿房宮の造営などは、即刻中止しなければならない。」
左丞相李斯もまた、言った。
「帝国の評判が、もはや地に落ちている。いくら叩いても賊が絶えないのは、そのためだ、、、もはやここに至っては人民の負担を撤廃して、帝国の人気を回復させるしか、道がない。」
これまで力で押す政策を続けてきた李斯たちも、ついに後退を認めざるをえなかった。もはや、秦帝国の「勢」が傷付き始めていた。「勢」が傷付けば、法刑の効力も失われる。李斯は、法家思想の根本を人民に付き崩されて、苦悩していた。
三人は、一致した。
「― 帝国の方向を変えるには、あの宦官を除かなければならない!」
趙高は、己の権力を私的に濫用するばかりであった。猜疑心が強く、己に対して異心のある官吏が次々に刑に処されていった。そのために、能臣たちは何も言えなくなっていた。三人の高官たちは、官場を暗黒としているこの宦官を亡ぼさなければ、秦帝国は危機を乗り切ることができないと決意した。
しかし、彼らの協議の内容は、全て趙高にへつらう者の報告によって筒抜けであった。すでに、彼の権力は百官を侵し始めていた。

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各章アーカイブ

           
第一章 兵法の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 宦官の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


                      
第十章 垓下の章



終章~太平の章