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十八 帝国の秋(3)

(カテゴリ:104動乱の章

胡亥の前にいたのは、一人の老政治家であった。

先帝と共に、秦帝国の全てを作り上げた丞相であった。
彼のこれまでの功績に比べれば、胡亥や趙高ごときがどうして彼をここまで嘲弄することができるのか。宮中では、全てが狂っていた。
胡亥は、李斯に怒りの言葉を投げ付けた。
「楚人めが、、、何しに、現れおった!」
李斯は、静かに膝を折り、叩頭して平伏した。
平伏したまま微動だにせぬこの元勲の厳粛な空気に、周囲は静まり返った。長い刻が、そのままで過ぎ去ったような気分がした。
胡亥は、ついに彼に対して顔を上げることを許すより他はなかった。
李斯は、顔を上げた。
「― 臣斯、昧死して奏上いたします。臣が聞くに、『臣がその君に疑わしければ、国を危うくせざるものなく、妾がその夫に疑わしければ、家を危うくせざるものなし』。臣の力がその君主と紛らわしいまでに増長すれば、国家は危うくなるのです。今、陛下の側にある大臣で、賞罰利害をほしいままにして陛下と差異なき専権を持つ者が、おります。宋の司城子罕(しかん)は宰相でありながら、自ら刑罰を行ってしかも自らの威でこれを行ないました。果たして、子罕は一年の後にその君をおびやかしました。また斉の田常は簡公の臣となり、爵位は国に比類するものとてなく、私家の富は公家の富にすら匹敵するものでありました。田常は恵を布(し)き徳を施し、下に百姓を手なずけ、上に群臣を手なずけました。彼は、こうして斉をひそかに取ったのです。やがて宰予を殺し、簡公を朝廷に弑して、ついに斉をわがものと致しました。これらは、天下の明らかに知るところでございます。今、趙高は邪佚の志があり、危反の行いがあります。これは、子罕が宋の宰相であった時のごとくです。今や趙高の私家の富は、田常の斉にあった時のごとくです。田常・子罕の逆道を兼ねて行い、陛下の威信を危うくしております。陛下、いまこそご処断を図りたまえ。さもなくば乱変を起こすことを、臣は恐れまする―」
先帝が秦王の頃より仕え始めてから、三十有余年を経てきた老宰相の進言であった。この胡亥を二世皇帝に仕立てたことは、忌まわしいことであった。しかし、今や秦帝国が危機に瀕しているのである。彼は、己の全てを賭けた。もとより彼の口癖は、

― 善あれば主に帰し、悪あれば自らと與(とも)にする。

であった。彼には、秦帝国に叛こうなどという意志は、何一つなかった。
趙高は、李斯の奏上によって胡亥が動揺したのではないかと、恐れて彼の表情を見た。
しかし、皇帝の顔を見て、すぐに趙高は安心した。
胡亥は、自分の理解の範囲を超える言葉を聞いて、呆然としている顔付きであった。これならば、趙高がその心の隙に囁けば、再び元の心持に戻るだけのことであった。この皇帝には、およそ自分の判断力というものが存在しなかった。趙高は、それを確信していた。
趙高は、言った。
「― 田常とは、丞相のことではござらんか?たかが郎中令の臣と丞相とでは、さてさてどちらが君に疑わしき権を握っておられるのでありましょうや?陛下。ご判断を、お願いします。」
趙高は、胡亥の肩を持った。
胡亥は、まだ彼の方を向くことが、できなかった。
「陛下!」
趙高は、肩を持つ手に、力を込めた。
「陛下!臣の言、お疑いなさいますな!、、、それは、奸臣です!」
李斯が、声を枯らして、胡亥に言った。
「陛下!なぜ、臣をお疑いになられる?」
趙高は、やさしい声で、胡亥に囁いた。それは、胡亥にとって幼少の頃からずっと聞き慣れてきた声であった。
「陛下!、、、国のために、秦の、ために!、、、」
李斯が、涙を浮かべながら、言った。
「― 胡亥!こちらを向け!」
趙高が、皇帝の肩をぐいと引き寄せた。己の本名を呼ばれて、胡亥はどきりとした。それが言えるのは、父母だけであった。そして趙高は、彼の父であり、母であった。
顔面蒼白となって振り向かされた胡亥に対して、趙高はにこやかに言った。
「丞相は、国を奪うつもりであると申したではござりませぬか、、、丞相が恐れているのは、この臣だけです。だから、臣を殺すことを奏上しに来たのです。全ては、私欲から来る演技なのです。幼少の頃にお教えしたとおり、権勢の大きすぎる臣に君主が下すものは、『術』。すなわち、暴力の鉄槌です。よろしく、丞相に断を下すことをお図りなさいませ、、、」
趙高は、胡亥を抱き寄せて背中をなぜ始めた。胡亥は、みるみるうちに呪縛されていった。
「― 逆臣について、いかがなされますか?」
「殺す。殺す。殺す、、、けけけけっ!そうすればいいんだろ?趙高。」
「ご英断に、ござりまする、、、」
胡亥は趙高に連れられて、すでに白けた宴席を立ち去って、奥に消えていった。
李斯は、ついに取り残された。

もはや、李斯に機会は与えられることがなかった。恥辱だけが、これから先に残されていた。
罪状をでっち上げるために、三川郡守李由の謀反の嫌疑が調べられた。李斯は胡亥に上書したが、もう聴かれることはなかった。
ついに、胡亥は李斯・馮劫・馮去疾の三名を、刑吏に引き渡す命を下した。
馮劫と馮去疾は、恥辱に耐えられず自殺した。
李斯は、趙高の監督の下、苛酷な訊問に晒されることとなった。
趙高は、拷問の限りを尽して、李斯に自白を迫った。
彼は、志操を枉げなかった。それで、訊問は執拗に続けられた。
訊問の最中に李斯が皇帝に向けて奏上しようとしたという上書が、『史記』李斯列伝に記載されている。
それは、自らが丞相として三十有余年の間に秦帝国を偉大ならしめた七つの功績を書き並べ、それらが自分の罪であった、という変な内容である。それで、自分は久しい以前から死罪に値していたが、陛下はそんな臣に力を尽す場を与えてくださった、とへつらっている。訊問されている時に至っても、李斯はこのようなねじくれた文書を上書した、と歴史は記録しているのである。
しかしながら、その直後に司馬遷は、この上書が趙高によって捨てられて奏上されなかったと書いている。ならば、後世に上書の内容が伝わるはずがない。思うに、『史記』に記載された李斯の獄中からの上書は、後世の悪意に満ちた捏造ではないだろうか。後世の歴史家たちは、丞相李斯の悪辣さと無様さを、可能な限り構成する必要があった。秦帝国を、悪の王朝として貶めるためである。『史記』を書いた司馬遷もまた、漢帝国の勃興を何としてでも歴史哲学的に必然化しなければならなかった。それで、秦帝国は亡ぶべくして亡んだという結論が必要であった。『史記』李斯列伝は、大なり小なり歴史家の隠された悪意によって書かれているはずだ。その全てを、信じるわけにはどうしてもいかない。
繰り返される訊問の末、上書も届くことがとうとうなかった。李斯は、ついに敗れた。罪状が、確定された。
胡亥は、李斯が罪状を認めたことを聞いて、喜んだ。
「― 趙高がいなかったら、騙されるところであったよ!」
伝えた趙高は、まさにまさにとうなずいた。帝国の専権は、もはや彼のものであった。

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各章アーカイブ

           
第一章 兵法の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 宦官の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


                      
第十章 垓下の章



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