«« ”一 河北の暴風(1)” | メインページ | ”ニ 鴻鵠の歌(1) ”»»


一 河北の暴風(2)

(カテゴリ:楚滅秦の章

章邯に鉅鹿を包囲されて、趙の命運は窮地に陥っていた。

趙は、周辺各国に急ぎ救援の出兵を要請した。
楚では、敗戦の痛手がいまだ消えていない時期で、諸将は進むべきか待つべきか大いに紛糾した。
「― 秦軍は、強すぎる。今度敗れたら、楚はもう終わりだ。」
「― だが待っていたら、ますます貧するばかりではないか。」
「― 秦将の章邯は、恐るべき知将だ。どうやって、奴に勝てるのだ、、、」
「― 斉は、何をしているのか。この場に及んで、まだ自国の都合にこだわっているのか!」
先行きへの不安。根拠のない強がり。立ちはだかる敵への恐怖。動かぬ隣国への、八つ当たり。
彭城の宮城に集まった諸将は、論議を繰り返すばかりであった。楽観論は消し飛び、今は秦への恐怖ばかりが先行していた。論議はいつまで果てるとも、知れなかった。
「― もうよい!」
まとまらない論議を一喝したのは、意外にも懐王であった。
これまで祭り上げられた王としてほとんど何もしてこなかった彼であったが、今や柱を失って右往左往するばかりの配下の者たちを、ついに見兼ねた。
彼は、言葉を続けた。
「武信君は、敗れてしまった。今、総力を挙げて秦と戦わなければ、楚は亡びるだけだ。待つことは、許されない。奮起せよ、諸将!、、、武信君の仇を討て、皆の者よ!」
その言葉を聞いて、項羽が立ち上がった。
「そうだ!今は、攻撃あるのみ!趙に攻め上って、秦を討つべし!」
次に沛公が立って、発言した。
「攻めなければ、守れない時だってあるぞ。秦は勝ったが、各国は少しも平定されていない。攻め続ければ、いずれ秦も勢いが尽きるだろうよ。ここは、攻めなれけばだめだ。」
誰かが、沛公たちを野次った。
「でたらめな展望を抜かすな、沛公!」
沛公は、野次に答えた。
「でたらめでは、ないぞ。要は―」
彼は、少し間を置いて、続けた。
「要は、章邯を倒せばよいのだ。今の秦を持たせているのは、章邯だ。章邯さえ倒せば、愚か者の二世皇帝しか秦には残らない。楽勝よ。」
すかさず、罵声が飛んだ。
「笨蛋(ばか)!その、章邯が倒せないから、、、」
「― 倒す!」
罵声を遮って大喝したのは、項羽であった。
その雷鳴のような声に、諸将は静まり返った。
彼のこの気概こそが、楚には必要なものであった。
声の止んだ殿中で、おもむろに懐王が発言をした。
「趙には、援軍を送る。沛公の申すとおり、攻めなければ守れぬ。天下は、畢竟楚と秦との決戦なのだ。余は諸将に、命ずる。諸将は今後、必ず秦の本拠地である関中を陥とすことを、目標とすべし。もし、諸将のうちで関中に入ることができた者が、あるならば―」
懐王は、諸将に約束した。
「一番先に関中に入って定めた者を、その地の王としよう。」
懐王は、このとき迷う楚人たちに、道を示した。諸将は、粛然として王の言葉を聞いた。
ここに、盟約が成った。
― 一番先に関中に入って定めた者を、その地の王とする。
これは、形勢不利な自軍に目標を与えて奮起させるための、掛け声にすぎなかった。誰もこの時点で秦に勝って関中を平定できるなどと夢想できた者は、いない。しかし、この盟約は、後に大きな意味を持つことになる。
論議の席が終わった後で、項羽が沛公のところに駆け寄って来た。
項羽は、沛公に言った。
「間もなく、我らは出陣となるでしょう。沛公、諸将の中で頼りになるのは、やはりあなただけです。」
項羽の目は、いつものように光り輝いていた。
沛公は、彼にこの目で見つめられると、まことに苦手であった。悪い気持ちがしないので、それが一番苦手なところであった。
項羽は、続けて言った。
「沛公、、、どうか、義兄弟となしてください。」
沛公は、苦笑してしまった。
「義兄弟、だって―?」
まさかこの貴族の子が、義兄弟などと任侠まがいの事を言い出すとは、彼は予想もしなかった。
項羽は、明るい声で言った。
「はい!義兄弟です。あなたもおっしゃった通り、秦を倒すことができるのは、楚に私とあなただけです。心が通う者は、義兄弟となるべきです。共に、関中を平定するところまで突き進みましょうぞ。勝利もまた、私たちで共に分け合うのです!」
項羽は、にこにこと笑った。彼は、大真面目であった。
沛公は、笑いながら彼の言葉を諒承した。
「よし。義兄弟のこと、許そう、、、死生も、富貴も、共に分け合うのだ。」
「はい!」
沛公は、実は義兄弟の契りなどこれまで何十回も行なっていた。その彼が、初心な項羽に言ってやった。
「神明に誓って、互いの血を啜(すす)る。厳粛な儀式だ。心するがよい。そして、誓願の酒を酌み交わそうではないか― あ、お前は酒を飲まないんだったな。」

こうして、楚軍が再び編成されることとなった。
その主力は、大半が趙救援軍に振り分けられた。
項羽は、魯公に封じられて、次将軍となった。
范増が、末将軍となった。
さらに、当陽君黥布、蒲将軍、番君呉芮(ごぜい)といった一軍を率いる諸将から、司馬龍且、季布、桓楚、鍾離昧(しょうりばつ)といった武将たちも、趙救援軍に組織された。
しかし、それら全軍を率いる上将軍に昇ったのは、あの宋義であった。
「宋義は兵法に最も詳しく、しかも斉とのつながりもある。救援軍の長として、ふさわしい。」
それは、懐王が決めた人選であった。
懐王は斉の高陵君に会見して、宋義が項梁の敗戦を見事に予言してみせたことを聞いた。果たして斉から戻って来た宋義に会見してみると、政略にも兵法にも、このうえなく通暁していた。懐王は、たちまち宋義に魅惑された。それで、宋義は王の最大の信任を得るようになったのであった。高陵君も宋義も、項梁の敗戦を予言しながら己の保身に走った点については、もちろん懐王に言うことがなかった。
項羽は、総軍の長としてはまだ若年すぎた。彼は、このとき次将としての任命を甘んずるより他はなかった。

          

各章アーカイブ

           
第一章 開巻の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 皇帝の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


           
第十章 垓下の章



終章~太平の章