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五 動かぬ軍(2)

(カテゴリ:楚滅秦の章

「なにっ!」
怒る項羽に対して、宋義は言った。

「兵を動かすのは、囲碁で石を置くこととは違う、というのだ。兵の法則を軽んじる者に、兵を語る資格はない。君は、糧秣・輜重の輸送のことについて、考えていないだろう?」
宋義は、項羽の主張の欠点を、指摘していった。
「楚から千里の向こうの戦場に兵革車馬のための物資を送るならば、これは大変な負担となる。その上輸送の部隊は、敵の恰好の奇襲の相手だ。章邯ほどの将が、見逃しておくはずがない。かといって、趙の土地はすでに餓え始めている。現地で兵を養うことが、難しい状態である。章邯の狙いは、すでに分かっている。我らを趙の領内におびき寄せて、飢えさせることが奴の軍略だ。敵の軍略にはまって、それで勝てるとでも思うのか?」
宋義は、講釈しているように続けた。
「ゆえに、私がここで待機しているのは、秦の誘いに乗らないためなのだ。これは、持久戦なのだ。うかつに動いた方が、敗れる。それよりも今は趙と秦が戦っているのを、遠巻きに眺めて待機しておいたほうがよい。秦が勝っても、無傷ではいられない。その時に満を持してわが楚と斉が結んで襲ったならば、互角以上の戦ができるだろう。そしてもし趙が勝つならば、それこそ堂々の討伐軍を起こせばよいのだ。これが、高度の軍略というものなのだよ、項羽?」
宋義は、また彼のことを字(あざな)で呼んだ。
項羽は歯ぎしりしたが、このときには有効な反論を宋義にすることができなかった。兵法を知っている点では、項羽は宋義に遠く及ばなかった。

さらに、十日が過ぎた。楚軍は、いまだに動かなかった。
この頃宋義は、斉との間にしきりに使者を往来させていた。しかし、斉には目立った動きが見られなかった。かの国は何を考えているのか、苛立たしいほどに戦況を静観していた。
そのとき、斉から思わぬ一報が届いた。
斉の将軍の田都が、自分の兵を率いて卿子冠軍に合流したい、とひそかに打診して来た。
彼は、斉を動かす田栄たちに、愛想を尽かしたのであった。彼ら首脳が考えていることは、自分たちの権力を維持することばかりであった。王位から引きずり降ろした田假の一党を追うことには熱中しても、楚や趙と結んで秦に当ることには熱心でなかった。田都は、田栄たちのあまりの身勝手さに、もはや従うことができなかった。
ところが、宋義の田都への回答は、項羽を驚かせた。
「― 斉王の頭越しに参加すること、相成らぬ。斉王と共に、来られよ。」
項羽は、宋義がこのように回答して使者を追い返したことを聞いて、激怒した。
「斉王が、何だと言うのか!どうして田栄を、待たねばならないのか!上将軍は、何を考えているのか!」
項羽は、再び宋義の陣営に駆け込んでいった。
このとき、郎中の韓信も一緒に行った。宋義が兵法などをしゃべり始めたときに、対処するための論客であった。
項羽は、せっかく参加しようとした田都を追い返したことを、宋義に激しく責めた。
「うるさいぞ、孺子(こぞう)。」
宋義は、ついに怒る項羽のことを、孺子(こぞう)とまで呼んだ。
彼は、言った。
「まだ、分からないのか。楚と斉が一致してこそ、秦軍と戦えるのだ。斉という国は、まことに扱いにくい。私が、どれだけ苦心してかの国に工作しているのか、分からんのか。」
今度は、韓信の出番であった。
「上将軍― お言葉ですが、斉などは当てになりません。斉軍の来援にこだわり過ぎては、かえって大局を誤りかねないでしょう。ここはむしろ趙とより緊密に結んで、斉のうち我らに協力する分子を取り込んで河を渡り、その上で応変の兵を行なったほうが勝機も見えようかと思うのでありますが―」
宋義は、項羽が従えて来た背の高い青年を、じろりと見た。
「君は、、、どこかで、見たことがあるな。」
韓信は、答えた。
「郎中の、韓信です。上将軍が斉への使者として行かれたときに、同行申し上げました。」
宋義は、わずかに苦い顔をしたが、すぐに些事にすぎないとして表情を元に戻した。
宋義は、韓信を黙らせるために、いま彼の手の内にある一つの秘事を述べた。
「― 斉が、秦と結んだらどうするのか。」
韓信は、ぎょっとした。
「すでに章邯は、斉に降伏の工作を始めている。秦に降伏することを条件に、斉王国の存続が許されると誘われているのだ。斉の朝廷は、今揺れ動いている。もし斉が秦に従ったならば、直ちに彭城を襲うであろう。こうなれば、楚は進退窮まってしまう。私は、この安陽に留まって、斉を引き止める工作を続けているのだ。何も知らぬ君などが、口出しできるような話ではない。」
六国の一つが秦に従うなどは、これまでの戦の前提を覆すものであった。だが、斉ならば、やりかねない。かの朝廷の保身を優先する態度には、これまで楚はずいぶん煮え湯を飲まされてきた。韓信は、宋義に足元を掬われた心地がした。
宋義は、さらに韓信に言った。
「君は、どうやら兵法を少し知っているようだな。

― 其の疾(はや)きことは、風の如し。其の徐(しず)かなることは、林の如し―

この後は?」
韓信は、答えた。
「― 侵掠することは、火の如し。動かざることは、山の如し。知り難(がた)きことは、陰の如し。動くことは、雷震の如し、です。」
『孫子』軍争篇の、最も著名な語句であった。
宋義は、言った。
「そう― 動かぬ時には、決して動いてはならない。そして攻めるときには、一挙に行なわなければならない。このような大軍であればあるほど、そうなのだ。ましてや敵は、罠を仕掛けている。こちらは罠に掛からぬことによって、かえって敵を追い詰めさせるのだ。見たまえ。そろそろ秦軍が河水(黄河)を渡って南侵を試みている頃であろう。焦って、動いたのだ。しかし、敵は敗れる。」
これは、宋義の予測したとおりであった。
まさにこの頃、王離が率いる一隊が、河水を渡って進撃を試みていた。
しかし、そこには北進した沛公劉邦の軍が、待ち構えていた。結果は、王離軍の大敗であった。王離は、何の成果も得るところなくして、河水の向こうに撤退せざるを得なかった。
この報が伝わったとき、韓信は宋義の才能を認めないわけにはならなかった。
「確かに、彼は兵法を知り、よく予測できる。しかし、、、」
しかし、それでは勝つことができないのでは、ないか。
勝たなければ、もとより不利な情勢にある我が軍は、結局負けてしまう。
韓信には、むしろ憂慮が残った。
宋義は、項羽のような輩が血気に逸って軽挙妄動することを防ぐために、諸将諸吏に申し渡した。
「― 猛きこと虎の如く、度し難いこと羊の如く、貪ること狼の如き強暴で令に服さぬ者は、皆斬に処す!」
こうして卿子冠軍は、そのまま来る日も来る日も安陽に留まり続けた。

          

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第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


           
第十章 垓下の章



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