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六 哀しき稼業(1)

(カテゴリ:楚滅秦の章

章邯は、鉅鹿に籠る趙王と右丞相の張耳を、引き続き強烈に包囲し続けていた。

すでに、甬道は完成していた。河水(黄河)のいくつかの地点から、鉅鹿城に向けて土と草木を固めて作った壁が、車の輻(や)のように集まっていた。これは、兵糧を運ぶための道であると共に、敵の侵入路を寸断するための、壮大な防塁でもあった。章邯は、攻城のためにさらにその周囲に巨大な城を築いたともいえる。
この築城のために、趙の民はほとんど死の淵に追い込まれていた。壁の接着材とするために、備蓄の大量の米が工事現場で盛んに炊煙を上げた。その米の一部を支給すれば、趙の民は救われたはずであった。しかし、秦軍は彼らに一粒も与えることがなかった。工事の民は、呆然としながら米の煮える匂いを横で嗅いでいるばかりであった。章邯の作戦は、まさに天才のなせるわざとしか言いようがなかった。天才であるゆえの奇想天外であり、かつ天才であるゆえの冷酷非情であった。
鉅鹿の南に陣取る章邯の陣営に、王離将軍が帰ってきた。
彼は、河水の南に遠征を試みたのであるが、沛公の軍に勝つことができず、かえって兵を傷つけただけの結果に終わった。
「― 面目も、ございません。」
王離は、敗軍の責を負うことを覚悟して、章邯に平伏した。
章邯は、言った。
「ふん。君には、しょせん期待などしていないよ。あの兵は、もともと楚軍をこちらに釣り出すための餌だ。君に将才がないことを確認できたことが、今回の遠征の収穫だ。」
そう言って、それ以上責任を追及することをしなかった。
章邯は、思った。
(祖父とは、比較にならぬ。兵法書を、ただ読んでいるだけの男だ。応変の創造力が、欠けている。)
王離の祖父の王翦は、章邯が崇敬してやまない名将であった。章邯はかつて軍吏として王翦将軍の下で幾多の大戦を戦い、彼の用兵の妙に大いに感銘を受けた。章邯は、彼の行動の全てを学んだ。王翦もまた、戦の合い間に配下の軍吏たちを集めては、用兵の要点について解説することを好んだ。章邯は、王翦将軍と共に戦った時代の経験をかけがえのないものとして、今でも心に保っていた。
その祖父に対して、いま彼と共にいる孫は到底較べるべくもなかった。だが将才は期待できなくても、手駒として王離は作戦に必要であった。それで、今は咸陽に敗戦の責を問うことを保留した。
陣営には、王離の他に、渉間、蘇角の二人の将軍がいた。いずれも、章邯のもとに増援されて来た、補佐の将軍であった。
章邯は、将軍たちに言った。
「宋義とかいう将、かなり出来るな。誘いに、なかなか乗らない。だが、待っているだけでは、優勢な我が軍の勝ちだ。奴は、戦術を知って戦略を知らぬ典型の将だ。待てば、我らがそのまま勝つ。動けば、叩きのめしてやはり我らが勝つ。どちらにしても、秦の優位は動かない。」
将軍の一人の渉間が、章邯に聞いた。
「試みに、お聞きしたいと思います― このような局面で、楚軍が取るべき策は?」
章邯は、すぐに答えた。
「二つしか、ない。」
彼は、解説を始めた。
「一つは、咸陽への毒を盛ること。かつて楽毅は、燕の将軍として斉の七十余城を陥とし、斉はわずかに即墨と莒(きょ)の二城を残すのみとなった。斉は、そのままでいけば楽毅の用兵によって、滅亡すること確実であった。だがその彼の進撃を止めたのは、背後の朝廷の疑心暗鬼であった。新しく即位した燕王は、斉の放った反間の言に惑わされ、ついに楽毅を疑った。楽毅は、将軍の職を解かれた。身の危険を感じた楽毅は、趙に亡命するしかなかった。楽毅を失った燕は、結局奪った城市を全て斉に取り返されてしまった、、、」
楽毅は、戦国時代を華々しく飾る、稀代の名将の一人であった。彼は、弱国の燕の昭王から、腰を低くして招かれた将軍であった。燕国は、つねづね強大な斉から圧迫され、国都を蹂躙され宗廟を汚される侮辱まで受けた。昭王は、斉に復讐することを望んで、楽毅を招聘したのであった。楽毅は昭王の意気に感心し、王と将軍は力を合わせて斉を倒す策を練った。ついに、その機会は訪れた。外交によって斉を孤立させることに成功した昭王は、対斉連合軍の将に楽毅を就けた。楽毅は、連合軍を率いて斉に攻め入り、城市を次々に落としていった。楽毅は、勝てたはずであった。だが、彼に不幸であったのは、共に歩んだ昭王が戦役の途上で死去したことであった。後を受けた恵王に、斉の反間の計が放たれた。斉に取っては、天の与えた好機であった。戦線で圧勝していた楽毅は、都にいて戦のことなど何も知らぬ若い王の誤った判断一つで、勝利をふいにしてしまったのであった。
章邯は、楽毅の歴史を引き合いに出して、言った。
「― 咸陽が私を解任すれば、秦の勝利は潰えるだろう。」
彼は、事実を事実として、述べた。将軍たちは、彼の言葉を聞くばかりであった。
「そして、もう一つ楚軍が勝つ可能性があるとしたら、それは―」
章邯は、続けた。
「それは、天才が兵を率いることだ、、、私以上の、天才がな。宋義は、諸君らよりはましな将かもしれない。しかし、天才ではない。ゆえに、私を破ることはできない。」
これが、章邯の確信であった。秦が敗れるとすれば、それは自分が秦にいなくなるか、あるいは自分を越える戦の天才が現れるかしか、ない。それが、彼の自負であった。彼にとっては、目の前の三将軍も、楚軍を率いる宋義も、多寡の知れた凡将であった。それは、彼の自惚れではなくて、事実を観察しているに過ぎなかった。
このとき、陣営に報告が届いた。
「陳餘軍が、南下して攻め寄せて来ました!」
章邯は、しかしその報に、少しも慌てなかった。
「来たか。愚か者が、、、」
邯鄲を逃れた趙の大将軍陳餘は、北で兵を集めて鉅鹿の北に陣取った。しかし、包囲する秦軍を恐れて、これまで動こうとしなかった。鉅鹿の中に包囲された張耳は、陳餘に再三攻撃するように督促した。陳餘は決断できずにためらい続けたが、この際ようやく一部の兵を割いて、試しに攻めてみたのであった。
章邯は、斥候からの報告を逐次聞いて、敵の全貌を直ちに分析していった。
「兵数、五千人か、、、陳餘は、詭道の用兵を知らぬ将だ。目に見える五千人の兵は、それが全てだ。敵に何の策も、有りはしない。」
章邯は、配下の三将軍に、迎撃を命じた。
「― 全滅させろ。奴らから、反撃への意志を奪うよい機会だ。」
章邯の指令は、適確であった。

          

各章アーカイブ

           
第一章 開巻の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 皇帝の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


           
第十章 垓下の章



終章~太平の章