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七 昌邑の餓狼(2)

(カテゴリ:楚滅秦の章

彭越は、陳勝の蜂起からずっと情勢をうかがってきたことを話し、この時期になって挙兵することになった次第を、語っていった。

「待つこと一年、ようやく湖賊どもが待ちきれなくなって、俺に挙兵の頭になってくれと言ってきた。俺は、言ってやった。『俺は、もう年寄りだ。もっと別の奴に頼め』って。それでも、奴らには俺以上の頭などいるわけがねえ。頼むから頭になってくれって、全員で俺に頭を下げた。そこで、俺は言ったよ。『そこまで言うのならば、頭になってやろう。明朝、日の出までの刻に、集まれ。結盟の儀式を行なう。遅れたものは、斬る。』と。次の日の朝になったら、集まった人数が足りねえ。十余人も、遅れて来やがった。しょせんは、糞の集まりよ。人を担ぎ上げたくせに、侮ってやがる。そこで、昼にまでなって最後に遅れてきた奴がやって来た後に、俺は全員に言った。『俺を無理強いして頭にしたくせに、俺の命令を守らない奴が多すぎる、、、多すぎて、全員は殺せない。だがそこの、一番遅れて来た奴は、斬に処す。』最初が、肝心だ。どいつもこいつも一回ぐらいいいじゃねえか、などと言って笑ってやがった。俺は、奴らの言うことを聞かずに、首を刎ねた。俺の態度を見たら、もう糞どもは俺のことを伏し仰いで、まともに見ることもできねえ。」
彭越は、湖賊どもを震え上がらせた経緯を、沛公に得々と語った。
彭越は、言った。
「奴らは、もう俺の命令なら何だって聞く。攻めろと言えば攻めるし、奪って来いと言えば奪ってくる。俺の快楽のために、下の者が必死になって働く。これが、権力の旨味というもんだ。笑いが、止まらねえぜ!」
彭越は、ひはひはと笑った。
沛公は、苦笑して言った。
「お前を敵に回さないほうがいいってことが、よく分かったよ。」
彭越は、それから急に真面目な目つきになって、言った。
「― この世界は、力を持たなくては幸せになれない。昔から今まで、ずっとそうだ。」
それから彼は、沛公にだけ秘密を打ち明けるかのように、語っていった。
「上にいる王侯、将相、百官、諸吏の奴らは、上から下まで力にものを言わせて、下の民にひどいことをする。下に組み敷かれていれば、全ての幸せを奪われて、命すら危ない。俺は、せめてつつましやかに生きたいと思っているだけの善良な邑の者たちが、上の奴らから何もかも奪われていく姿を、嫌と言うほど見させられた。奴らは邑の者たちが粟(あわ)を持っていれば、取ろうとする。王候が、最初に取る盗賊。大官どもが、その残りから取る盗賊。そして下っ端官吏が、最後のおこぼれまで奪う盗賊だ。そうして、全部取っていく。粟の次には、豬(ぶた)と鶏だ。豬と鶏を奪い尽くせば、次は妻と娘だ。最後に、命までも兵卒に駆り出して奪うのだ。そんな奴らが、仁君だの清官だの郷紳だのと、世間で評判になっているわけだ。奴らに金で雇われて、そして奴らのために嘘を繰り出すのが、学者弁士の皆様よ。これが、世の中のからくりってわけだ。馬鹿馬鹿しくて、真面目に働いていられるかよ。この世界は、みんな盗賊なのさ。」
沛公は、言った。
「それで自分から進んで盗むために、盗賊をしているのか、、、大した悪人だな、お前は!」
沛公の言葉に、彭越は答えた。
「何を言うか、沛公。あんたこそ、極悪人だ。」
沛公は、極悪人と言われて、彭越に笑いながら聞いた。
「俺が、どうして極悪人だ?」
彭越は、言った。
「俺には、わかる。あんたの欲の深さは、計り知れねえ。そのくせ、大きな力まで持っている。うまいこと、やりやがるぜ。いつの間にか一軍の将にまで昇って、その力を己のために働かせている。俺には、百年かかっても出来ない芸当だ。うらやましいぜ、まったく、うらやましいぜ!、、、あんたは、その力を使って、どうして獲物を盗もうとしねえ?、、、だから、俺はあんたに近づいたのさ。あんたに獲物を盗ませて、その分け前をもらうために、な。」
彭越は、大きな目をぐるぐるさせながら、沛公を見た。それは、獣が自分より強い者に対して条件付きの恭順を示そうとする、計算された敵意のない目つきであった。
沛公は、言った。
「どうしてお前は秦が倒れると思ったのかを、聞きたい。」
彭越は、答えた。
「― いいか、沛公。秦は、内側から崩れ出している。今、秦軍はいかにも強そうだが、それは将軍が一人で頑張っているからだ。中身は、腐り始めている。見せかけの強さに、怖気づくな。弱いところを狙って突けば、簡単に穴が空くぞ。」
沛公は、聞いた。
「どうして、お前にそれがわかる。」
彭越は、言った。
「俺は、湖賊としてずっと獣のような生活を続けて来た。だから、敵の強さと弱さが、はっきりと分かるのさ。虎や熊は、正面から戦えば人間は勝つことができない。なんで勝てないかと言えば、奴ら獣のことを人間が恐れるからだ。確かに、獣は強い。だが、獣には必ず弱点がある。恐れずに工夫してそこを狙えば、人間は勝つことができる。秦という虎も、そうだ。章邯は強いが、もう秦で強いのは章邯だけだ。敵を噛み殺す牙を持っているが、胴体には毒が回り始めている。毒は、趙高だよ。毒の回った胴体を叩くのが、虎を殺すための戦法というもんだ。」
沛公は、彼の言葉を聞いて、思った。
(― 勘か。ただの、勘か。)
しかし、さらに思った。
(― だが、こいつの勘は、たぶん正しい。そういう男だ。)
沛公は、彭越に言った。
「大した、推測だ。たぶん、お前の言っているとおりだろう。秦は、すでに脆い。」
彼は、沛公に薦めた。
「沛公、西へ向かえ。西に進めば、秦の守りに穴が空くだろう。あんたの力ならば、空けることができる。穴が空いたら、進んで秦を取っちまえ。あんたが、天下を取るんだ。あんたは、もう天下にあと一歩まで来ている。陳勝が死んで、項梁が死んで、いつの間にかあんたは楚の中で元老になっちまった。秦を倒せば、そっくり天下が取れるぞ。取るだろう?あんたは天下を、取るだろう?」
沛公は、彭越に言われてはじめて自分の地位の大きさを思い出した。
(蜂起から、たった一年― それで、天下取りだと?)
沛公は、そのあまりの飛躍が、冗談のように思えた。
(しかし―)
そのとき、一つのことに思い当たった。
(― 韓に、張子房がいる!あいつと手を組めば、確かに、、、!)
沛公は、そのひらめきを大事にした。
彭越は、沛公に言った。
「俺は、一国が欲しい。俺は、自分を知っている。俺は、どんなに背伸びしても一国までだ。沛公、俺に一国をよこせ。お前が天下を取って、俺に一国分けろ。それを約束すれば、俺はお前の力になってやるぞ。でないと、俺はお前の敵に味方するぞ!」
彭越は、彼が望むものを沛公に言った。
一国を取って、己の快楽に奉仕させる。
それが、彼の露骨な望みであった。
沛公は、しかし本音で語った彭越に対して、答えた。
「今日はよいことを、聞いた。彭越、お前の言葉、俺は忘れないようにしよう。」
彭越は、聞いた。
「本当か!、、、一国、くれるんだな!」
沛公は、答えた。
「ああ、くれてやろう。」
彭越は、喜んだ。
「― 西に進めよ、沛公!そうすれば、何もかもあんたのものだ!」
沛公は、哄笑した。
「全て、俺のものか!」
彭越は、言った。
「そうさ。あの彭城の、虞美人ですらな、、、あんないい女は、この世にいねえ。沛公、天下を取って、奪っちまえよ!」
沛公は、笑って答えた。
「あの女は、あの子の女だ、、、手を付けてはならん。」
彭越は、沛公の我慢に、顔をしかめた。
「ふん、奇麗ごと、抜かしやがって、、、まあよい。あんたが本当に西に進んだならば、いずれ俺から誠意のしるしを贈ってやろう。」
沛公は、聞いた。
「誠意?」
彭越は、答えた。
「あのな、定陶の城市に、一等の女がいるんだ。戚氏の女だ。俺は、捕まえて犯したくてしようがねえ。それで、捕まえます。だが、沛公。あんたがこれから本物であることを見せたならば、あんたに献上しよう。捕まえたら、いずれあんたの元に贈り届けます。それが、俺の誠意の証です。」
彭越は、
(どうだ、俺の誠意があんたなら分かるだろう?)
という顔で、にやにやしながら沛公に言った。

          

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第二章 伏龍の章


           
第三章 皇帝の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


           
第十章 垓下の章



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