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九 断!(2)

(カテゴリ:楚滅秦の章

かつて呉中で郡守の殷通を斬った時の、再現であった。

一度項羽が敵を斬ると決めたならば、何人たりとも彼を止めることは能わなかった。
宋義の配下の者たちが、異変を知って集まってきた。
項羽は、その者たちを誰一人として生かして置かなかった。
「おのれがっ!、、、思い知れ!」
項羽は、刃向かう者どもを次々に斬り捨てて行った。
やがて項軍の江東兵たちが、将を追って陣営にやって来た。
呂馬童と韓信が、兵を率いて将の加勢にやって来た。
「― 断は下った。もはや、誰一人として逃がすな!」
江東兵たちは、あわてて逃げようとする斉の使者たちを追い駆けて、ことごとく斬った。
もはや、斉との関係を断って、楚軍は前進しなければならない。
韓信は、呂馬童に言った。
「斉を、介入させてはならぬ、、、お前は、これから斉への道を急行せよ。宋襄に追い付いて、斬れ!」
「承知!」
呂馬童は、直ちに宋義の息子を殺すために、馬を全速で走らせて行った。
末将の范増が現場にやって来たときには、全てが終わっていた。
項羽は、全身を血にまみれさせて、一人徐(しず)かに立っていた。
彼は范増に気付いて振り向き、言った。
「亜父。もはや、断を下しました、、、私を、進ませてください。」
范増は、亡き項梁から甥を託され、亜父と呼ばれていた。
だが彼は、この青年の内面について、理解することができなかった。
穏やかな居巣の農村で、老年となるまで過して来た彼であった。項羽の沸き立つような精神を心で知るためには、もう年を取り過ぎていた。
理解は、できなかった。
しかし、老年であるゆえに、己を捨てて他人を見ることができた。
七十歳の男は、二十代半ばの青年が取った行動に対して、もはや全てを引き受けるべきであると思った。
范増は、項羽に言った。
「― 今は行け。青年よ。この老骨が、君の後盾となって守ろう。」

やがて、卿子冠軍の全ての将たちが、集まって来た。
当陽君、黥布。
番君、呉芮。
蒲将軍。
司馬龍且。鍾離昧。桓楚。季布。季布の叔父、丁公。番君配下の将、梅鋗(ばいけん)、、、
項羽は、諸将の前で宣言した。
「宋義は、斉と謀って楚に反(そむ)いた。ゆえに、この項羽はこれを誅殺した!」
末将范増が、彼の傍らにいて、すぐさま付け加えた。
「― 楚王の、密命であったぞ!宋義の誅殺は、楚王の命であった!、、、諸将、従うがよい!」
范増は、これを既成事実と成すために、諸将に承諾を迫った。
各人は、水を打ったように静まり返った。
やがておもむろに、一人が足を折ってひざまずいた。
諸将の中で最も巨体の、当陽君黥布であった。
黥布は、無言で項羽に懾服(しょうふく)した。
黥布を見て、他の将もまた雪崩を打って続いた。
こうして、項羽の断は全軍に承認された。
項羽は、江東以来の将である桓楚を使者として、懐王にこのことを報告させた。
懐王は恐れおののいたが、もはや追認するより他はなかった。
桓楚が戻って来たとき、項羽は上将軍に任じられた。
項羽が、卿子冠軍を率いることとなったのである。
「もはや、躊躇はならぬ、、、北へ、進撃するぞ!」
項羽は、全軍に号令を発した。
安陽に軍が留まってから、実に四十六日が経っていた。
これほどの期間押し留められて、兵たちの鬱屈は頂点に達していた。
項羽の断は、それゆえ組織の下に行けば行くほど、歓呼を持って迎えられた。
厳しい冬の最中であるにも関わらず、陣営は活気付いていた。
韓信は項軍の中にあって、緩んだ組織の建て直しを急いだ。
小楽が、事務を取る彼のところに、やって来た。
「― 韓郎中!」
「おお、お前か。」
小楽の目は、光り輝いていた。今にも、河水(黄河)を渡って飛び出して行きそうな勢いであった。
「これから、大変なことになりそうですね!、、、すごいや、すごいや!」
小楽は、何度も凄い凄いと、繰り返した。
韓信は、そんな彼に言った。
「難しい、戦いとなるだろう、、、浮かれるのはよいが、覚悟はしておけ。」
だが、小楽はそんな韓信の嗜(たしな)めに、笑って返した。
「勝てますよ。だって、項将軍ですもの。郎中も、そう思うでしょう?」
小楽は、何としても大人の韓信に、同意を取り付けたくてしようがなかった。
韓信は、そんな少年の心を、汲み取って言った。
「小楽。」
「はい。」
「お前も私も、これから大きなものを体験しようとしているのかもしれない。これから後のことは、必ず大きな結果となって終わるであろう。天下を動かせるのは、確かに項将軍だけだ。私たちは、項将軍と共に大きな流れに乗ったのだ。引き返すことは、できない。前を向いて、進むんだぞ。」
「はい!」
小楽の声が、弾んだ。
韓信は、彼ににこりと微笑んだ。
小楽は、韓信に言った。
「韓郎中。あなたは、やっぱり大した人だ。あなたは、項将軍に必要な人です。項将軍を、きっと助けてください!、、、これから、いつまでも!」
韓信は、小楽の言葉にああ、そうだねと肯(うなず)いた。

          

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第五章 楚滅秦の章


           
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