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十二 退路は要らぬ(2)

(カテゴリ:楚滅秦の章

『史記』項羽本紀は、このとき項羽が兵に携行させた兵糧は三日分のみであったと伝えている。

鉅鹿までの道程を考えるならば、それはいくら何でも誇張であるかもしれない。
だが、項羽が兵に戦場に赴くまでの兵糧しか持たせなかったということ― この意図こそが、理解されるべきなのである。
すなわち戦場に着いたならば、もはや滞陣はできない。
一戦の後が、もうありえないのである。
項羽は、派手に船を焼いて釜甑や廬舎を毀(こぼ)ちたことによって、全員に死を覚悟させた。
項羽は、兵法を組織的に学んだことがなく、兵法の詳細は知らなかった。
だがこの時彼が下した決断は、確かに孫子兵法のこの言葉の精神と完全に合致していた。

― これを亡地に投じて然る後に存し、これを死地に陥れて然る後に生く(九地篇)―

孫子の教える道理の真髄と、項羽の道はよく一致していた。一致はしていたが、その姿は常識外れであった。しかし余人には常識外れに見えながら深いところで道理に合致しているところが、彼の天才であった。
このとき、彼の周りには人材もいた。
命知らずの将軍たちは、群星のごとく揃っていた。
彼を半神と崇める、江東の子弟たちがいた。
范増が、軍師として彼の行く道を後から支えていた。率先して進む項羽の後方に控えて、難しい他国との外交や提携を扱っていたのは、彼であった。
そして韓信も、陳平もいた。
韓信は、鉅鹿近辺の情報を、詳しく調べていた。
鉅鹿の城市を、王離将軍の部隊がぐるりと包囲している。その周囲には、外からの攻撃に備えて蘇角・渉間の両将軍の部隊が構えている。総指揮を取る章邯は、南の棘原に布陣している。
「完全に、理に適った布陣だ、、、章邯は、まさに名将。」
韓信は、描かれた敵の布陣図を見て、感嘆した。兵法を知り、地の利を生かし、強国ゆえの豊富な物量を有効に活用している。誰が、この兵を破ることができるだろうか?
陳平が、韓信の前に坐していた。
彼は、机の上にある布陣図を見て、言った。
「― 勝てませんな。」
韓信は、陳平に言った。
「それでも、勝たなくてはならない。」
陳平は、返した。
「勝てないものは、勝てませんよ、、、それが、道理です。」
韓信は、陳平に言った。
「あなたは、楚軍のためにこうして自ら労を負って、我が軍に飛び込んで来た。それなのに、今さら敗北の主張を唱えるとは、、、どういうことだ?」
陳平は、言った。
「でも、あなただって勝てないことは、分かっているでしょう?それが、道理です。私たち二人は、道理を超えることはできませんよ。項羽には、道理を超えたものがあります。項羽の世界を理解しようとするのは、私たちにはできかねることなのですよ。」
陳平は、は、は、はと愉快に笑った。
陳平と韓信は、共に兵法家であるためにすぐに接近することとなった。陳平は、頻繁に韓信の元にやって来た。しかし韓信は、彼のことが苦手であった。彼は、根っからの陽性の男であった。今この時、必死必殺の軍の只中にあっても、彼は底が抜けるように愉快に笑っていた。空元気でもなく、運命をあきらめて笑っているわけでもなかった。彼は、これから大博打を始めようとしているその企画が楽しくて、笑っているのであった。
「ま、私たち両名はどんなに転んだって、項羽には勝てません。ここは、彼の天才に一任しようではありませんか、韓郎中―?」
陳平はそう言って、彼を同士であるかのように肩を叩いた。
韓信は、彼の言葉を肯定せざるをえなかった。

このときすでに、兵卒は北に進み始めていた。
鉅鹿へ!
鉅鹿へ!
何と項羽が、全軍の先頭にいた。
項羽の周囲には、呂馬童やいとこの項荘に始まって、江東以来の将兵たちが付き従っていた。
兵の編成は、大部分が徒歩の兵卒であった。馬は、わずかに将が騎乗する分だけであった。
項羽は、確信していた。
(勇躍するこの兵卒こそが、楚軍では最強である。戦車などは、決して踏み留まる兵卒の横隊を突き破ることができはしない。大量の車馬のために行軍を遅らせる必要など、ありはしないのだ―)
兵卒たちは、項将軍の姿を馬上に見るだけで、希望を持った。人間の限界に近い戦を行なおうとしている兵卒たちにとって、最高の糧となるものは希望であった。希望があるときにだけ、人間は極限の中で強くなれる。項羽は全軍の先頭に立って誰よりも必死必殺であることによって、人間たちの心の底を強く支えることに成功していた。
「項将軍!、、、私は、あなたを信じます!」
先頭からはるか後ろで、小楽も前進していた。彼の地点から、項将軍の姿はかすかにしか見えなかった。時々、前方から歓声が湧いた。項将軍が兵卒たちに何か声を掛けるたびに、大いに沸き立つのであった。その歓声を聞くと、小楽は居ても起ってもおられずに、前に駆け出したい衝動に駆られた。早足の行軍ですら、小楽にとっては遅々としているように思われてしまうのであった。
野営は、星の下であった。冬の趙の夜は、寒かった。兵卒たちには、もはや温かい食はなかった。それでも、彼らは耐えた。
項羽は、将軍たちに暖を取ることを許さなかった。自らも、寒空の下そのままで寝た。
項将軍が寝具もなしに寝ていると聞いて、兵卒たちが自分たちの着ている冬装を継ぎ合わせて、彼の陣営に持参して来た。せめてもの代わりにとの、兵卒たちの配慮であった。
しかし、項羽はそれを持ってきた兵たちの身を、逆に案じた。
「それでは、お前たちが夜寒くて寝られまい。将は、兵卒よりももっと労苦を背負わなくてはならないのだ。こんな寒さぐらい、私は何ともない。案ずるな。よく寝て、明日に備えよ。」
その言葉は、兵卒たちの通念にはないものであった。
将とは、安楽な位置に留まって高みから指揮するものである。兵卒たちにとって、それが見慣れた姿であった。兵よりも労苦するべきなどと言う将を、彼らはこれまで見たことも聞いたこともなかった。
項将軍に対する兵卒の信頼は、行軍のうちにますます大きなものとなった。
こうして、軍は北へ北へと進んだ。
目指す鉅鹿の戦場が、一日の行軍の距離となった。
そして同時に、兵たちの食もまた、この日をもって全く尽き果てた。

          

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第二章 伏龍の章


           
第三章 皇帝の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


           
第十章 垓下の章



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