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二十 我は西へ

(カテゴリ:楚滅秦の章

こうして、酈生兄弟の活躍によって、陳留はあっけなく陥落した。

後方からやって来た蕭何が、興奮しながら語った。
「― ここは、真に要地です。秦がこれほどまでに、陳留に糧食兵器を用意していたとは、想像もつきませんでした。ここを押さえておけば、これから我が軍の用兵に、うんと自由さが増すことになります。」
沛公の進撃は、この陳留を取ったところから始まった。沛公はまことに思わぬところから助けを得て、西に向けて穴を空けたのであった。
最大の功績を為した酈生は、沛公の激賞されるところとなった。
「先生に広野君の称を、与えよう。これからも我が軍と共に、討秦に向けて進んでいただきたい。」
酈生は、沛公から爵位を授与された後、謹んで言った。
「もし、公の御意にかなうならば、我が愚弟もまた、討秦軍の末席にお加えいただきたい。」
沛公は、聞いた。
「ほう― 舎弟が、おりますか。」
酈生は、答えた。
「まだ尻の蒼い、小孩子にすぎません。ですが、いっぱしに周辺の子弟などを率いております。わずかながらも、公の大義のお役に立てることかと、存じます。」
酈生は、深く拝礼した。
広野君の推薦を受けて、沛公は彼の舎弟と陳留の郊外で会見した。
舎弟の酈商は、四千人の子弟を引き連れて、沛公の前に現れた。
「― これは!」
沛公は、後ろに子弟を整列させた酈商の姿に、目をみはった。
酈商は、沛公の前で拝礼した。
「高陽の酈商、お召しにあずかり参上つかまつりました―」
沛公は一見して、酈商が並々ならぬ器量の武将であることを見て取った。
(これは、大した拾い物であったぞ、、、!)
沛公は、今や兄よりもむしろ弟を得たことを、内心小躍りするほどに喜んだ。
沛公は、酈商と親しく語り合った。
沛公は、酈商に聞いた。
「ずいぶん、兄と年齢が離れているようであるが、、、?」
兄は身長八尺の偉丈夫ではあったが、年は六十を越えてすでに老齢に達していた。だが弟は、まだ青年と言えるほどの若さであった。兄は長年の貧窮の結果、どことなくくたびれた風貌であった。しかし弟は、子弟たちを見事に統率するほどに、活力をみなぎらせていた。
酈商は、沛公の問いに答えた。
「それがしが幼年の頃には、すでに父母もおらず兄の手で育てられておりました。兄はそれがしのことを、実弟であると言い続けて育てました。」
沛公は、うなずいた。
「なるほど、言い続けて、育てたわけか、、、あの先生が人を育てたとは、隠れた人徳であるな。」
酈商は、彼ら兄弟の昔の時代について、沛公に話した。
「兄は世渡りの下手な人物で、常に困窮しておりました。それでも、それがしを餓えさせまいと、常にそれがしには食わせ続けてくれました。兄がいて、現在のそれがしがいるのです。」
沛公は、感心した。
「あの先生には、そんな面があるのか。人は、見かけによらぬ。」
酈商は、言った。
「兄は、子供のそれがしを食わせながら、口癖のように申していました。『私に後嗣がなければ、お前が継がなければならぬ。』と。」
沛公が、聞いた。
「子供に、変なことを言う人であるな、、、?」
酈商は、答えた。
「兄は、儒者です。儒者にとって、後嗣が絶えて祖先の祀りが尽きることは、最大の不孝です。兄は困窮してこれまで妻を娶ることすら、できませんでした。それで、それがしがいざとなれば弟として祖先の祀りを継がねばならない、というわけなのです。」
沛公は、吹き出した。
「儒者とは、おかしなことを大真面目に語るもんだ!」
酈商は、苦笑した。
「だから、それがしが実弟でないと、困るのでしょう。」
二人は、大笑いした。

こうして酈生兄弟を加えた沛公軍は、今や進む方向をはっきりと定めた。
沛公は、諸将に号令した。
「西の秦軍を、討つべし!」
沛公軍は、新たに将軍に任命した酈商と共に、西の開封を攻めた。開封からさらに白馬、曲遇(くぐう)といった土地で、秦軍と交戦した。この方面の秦将は、楊熊であった。
彭越が、沛公に囁いたとおりであった。
すでに、秦軍は綻び始めていた。戦えば戦うほどに、敵の勢いは削がれて行った。逆に、自軍の勢いは優位に立つばかりであった。
秦が頼るものは、法の力だけであった。法の効力は、絶対的な「勢」が権力側に独占されているとき堅固となる。これまでの秦が強かったのは、「勢」を自らの側に独占していたからであった。しかし、もはや前提は崩れつつあった。
城市の籠る人民が、真っ先に秦の支配から離反した。彼らが秦帝国から直接受け取るものは、刑罰の暴力だけであった。国家全体の経営など、彼らにとっては遠い世界の事情であった。それで、法の締め付けが揺らぐや否や、城市を挙げて秦の支配をくつがえした。
残されたのは、郡県の百官と、将軍だけであった。彼らは、人民よりもはるかに帝国に近かった。そのため、離反することができなかった。しかし、咸陽は、今や趙高の支配するところとなっていた。趙高は、権力を維持する手段として、法以外の何も知らなかった。そして、手元にある唯一の力の根源である法を、極限まで配下に適応した。賞罰の法さえ手に握っておけば、どのような複雑な行政機構であっても思うがままに動かせるはずであった。法家思想は、そのように教えていた。趙高は、法家思想の純粋な実験をしていたとも、言えなくもない。
しかし、国家の「勢」そのものが揺らいでいたときに、趙高の実験はひどい悪影響を及ぼした。法の恐怖に震える前線の百官将軍は、今そこにある現場で働くことを忘れてしまった。ひたすら咸陽が何を考えているのかばかりを、心配して奔走するようになった。この隙に、前線は敵に食われていった。そうして、帝国の「勢」はますます傷付くようになった。
秦将楊熊の軍は、ついに沛公に大敗した。楊熊は、東方の支配を大きく失って、河水(黄河)に沿って退却した。逃げ込んだのは、滎陽(けいよう)であった。
軍議の場は、白熱した。
「― 一挙に滎陽を攻めるべきか、否か、、、?」
諸将の意見は、様々であった。

          

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第二章 伏龍の章


           
第三章 皇帝の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


           
第十章 垓下の章



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