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二十一 将よりも、軍師として(1)

(カテゴリ:楚滅秦の章

灌嬰は、言った。

「もうここまで来れば、あと一息で函谷関だ。もはや、秦は衰えた。敵に息つく暇を与えず、一挙に滎陽を陥とすべきでしょう。」
周勃が、うなずいた。
「さよう、さよう。」
曹参が、言った。
「魏軍も我らに加勢して、秦への復讐を望んでいます。北で章邯軍が釘付けになっている今が、秦の本拠地を突く絶好の機会かと存じます。」
周勃が、またうなずいた。
「さよう、曹執珪の申す、とおりである。」
曹参は最近の一連の戦闘でも目覚しい活躍を見せて、爵位をさらに執珪に進めていた。
新参の酈商が、言った。
「しかし― 滎陽が、そう簡単に陥ちるでしょうか?あそこは、秦が入念に手を入れた要塞です。万余の兵で攻めても、持ち応えられるだけの用意が為されているのです。」
滎陽は、函谷関へと続く回廊の入り口として、秦軍が厳重に固めている拠点であった。
滎陽の前面には、巨大な食糧倉庫の敖倉があった。またその後方には成皋(せいこう)の城市があって、西からの敵を防いでいた。つまり滎陽の附近は、長期の籠城を可能とした複合的な要塞として設計されていた。かつて陳勝軍の呉広も、この城市を攻囲しながら陥とすことができなかった。そうして、軍は章邯に屠られるところとなったのである。
夏候嬰も、同意した。
「攻城に手間取って、呉広の二の舞にならぬとは限らない。もっと慎重に作戦を練ったほうが、よいと考える。」
周勃は、またもうなずいた。
「さよう、さよう。慎重でなくては、ならぬのう。」
議論は、紛糾した。
「― 兵は、勢いが大事!臆していては、いずれ敵が息を吹き返すぞ!」
「― 城攻めは、野戦とは違う!我らも、これまで攻城戦で勝つことはできなかったではないか!」
「― さよう、さよう。戦とは、まことに難しいのう。」
このように諸将の意見が割れている時に、最後の決断をするのは、主君の役割であった。
沛公は、軍議の経過を、黙って聞いていた。
議論が果てしなく巡ろうとしていたとき、初めて口を開いた。
「やはり、決断できぬようだな。ならば、滎陽を攻めるのは、やめだ。」
諸将は、一斉に沛公に注目した。
曹参が、聞いた。
「ならば、どちらに行かれる、、、?」
沛公は、にやりとして答えた。
「南に、回る。韓の土地を、通っていくのよ。」
「あ!そうか。」
夏候嬰が、その着眼点の良さに感服して、叫んだ。
沛公は、諸将に言った。
「これより、兵を南に向けて潁陽(えいよう)を突く。その向うには、韓軍が待っていることだろう。韓もまた、我らに加勢するぞ。」
進む道は、決められた。
沛公は、このときすでに、韓から連絡を得ていたのであった。
韓の申徒、張良子房からの連絡であった。
張良は、沛公に書いて寄越した。
― 滎陽は堅城で、これを力攻めしても数月は陥落しないでしょう。今は、秦を追い込む時です。一城のために遅滞しては、なりません。韓の土地を通って、進みなさい。私が韓軍を率いて、公のために先導いたしましょう。
沛公は進撃している間、張良から連絡が来ることを待ち望んでいた。
彼は、韓の申徒として一国を率いていた。張良が沛公軍に参加すれば、以降の対秦戦にさらに弾みが付くことになるであろう。
「ここから後は、秦の本拠地への殴り込みだ、、、張子房。お前には、俺の軍師となってもらうぞ。」
沛公は、張良が武将よりも軍師であるべきだと、正しく評価していた。沛公軍には多くの勇将がいるが、軍師がいない。これから後の戦は、秦と正面から戦うだけでは不足であった。秦の本拠地の関中に近づけば近づくほど、防禦は堅くなるだろう。沛公軍にとって苦手な、城攻めや難所越えが続くことになる。沛公は、智恵袋となるべき軍師がどうしても欲しかった。そしてそれは、向うからやって来た。
「張子房も、俺に付いた、、、これは、ひょっとしたらひょっとするそ、、、!」
沛公の顔には、計らずも笑いがこみ上げてきた。

いっぽうの張良は、韓一国を動かして、これを沛公のもとに参じさせた。
韓の力では、秦と戦うのは無理であった。張良は、これまではかばかしい戦果を挙げることができずにいた。彼は自分の将としての力弱さを嘆いたが、小国の韓では戦うための兵力も多寡が知れていた。
張良は、南進して来た沛公に、兵を連れて合流した。
沛公は、張良と会見した。
「― 久しぶりであるな、張子房。」
沛公は、親しみを込めて語りかけた。
張良は、今やへりくだって沛公に接した。
「― お待ちして、おりました。これより韓軍は、挙げて楚軍と共に戦うこととなるでしょう。」
沛公は、言った。
「今後、我が軍が進むべき、道は?」
張良は、答えた。
「潁陽の先に、轘轅(かんえん)という土地があります。難所で秦軍が塞いでいますが、ここを取れば西への道が開けます。」
轘轅などという土地は、沛公軍の誰もがこれまで全く注目していなかった。しかし、ここを通れば、滎陽を攻めずして洛陽にも宛にも行くことができた。そしてその先には、いよいよ関中が見えて来るのである。
張良は、沛公に勧めた。
「まず轘轅を、お取りなさいませ。それがしも、働きましょう。」

          

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