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二十五 覇王の夢(2)

(カテゴリ:楚滅秦の章

項羽は、騎士に言った。

「― お前は、自分の国に戻るという。」
騎士は、答えた。
「ああ。沙漠を越えて、さらに山を越えた、その向うだ。歩いて行くには遠すぎるが、馬を使えば行くことができる。」
項羽は、言った。
「お前の、あの馬だな、、、見事な、馬だ。」
騎士は、言った。
「あれは、ソグディアナの土地で、手に入れた馬だよ。厳しい気候にも乏しい食糧にも耐えて、遠い遠い旅程を走り続けることができる、、、欲しいか?」
騎士は、にやりとして項羽に聞いた。
項羽は、もちろんだと答えた。
騎士は、項羽の返答に、うなずいた。
「お前に、やろう。」
項羽は、声を弾ませた。
「本当か?」
騎士は、もちろんだと言った。
「お前にあの馬をやるために、私はここに来たのだ。この国で、あの馬にふさわしい男は、お前しかいない。中丞相があの馬のことを聞き付けて、欲しいと言ってきた。だが、一蹴してやった。あの馬は、宦官ごときが持つことはできない。今の皇帝などは、なおさらだ。秦の朝廷には、人間がいなかった。誰も彼もが、法と力の奴隷ばかりであった。私は、この国で初めて我らと同じ魂を持った男に出会えて、嬉しいのだよ。それが、お前だよ。だから、私はこの国を去る前に、お前に私の馬を置いていきたいと思ったのだ。」
騎士の乗った、白銀の毛色の馬。
それは、現在のアラブ馬につながっていく、西方固有の馬種であった。
ソグディアナすなわち現在のフェルガナ盆地附近は、古来より名馬の産地であった。後世に、漢の武帝がこの馬を得んがために、李広利将軍に命じて大軍をもって沙漠を越えさせた。多大の犠牲を払ってついに中国に届けられた馬は、名付けて汗血馬(かんけつば)。血の汗を流すゆえに、そう名付けられたという。フェルガナの馬は、武帝にそれほどまでの執念を持たせたほどに、秀でた馬であった。その名馬の子孫は、現在のトルクメニスタンでアハルテケと呼ばれる馬種であるという。アラブ馬よりも耐久力に優れ、頑丈な馬として世界に知られている。
騎士は、言った。
「名前は、改めてお前が付けろ。何と呼ぶか?」
項羽は、興奮した声で答えた。
「― あの毛色は、騅と言う。騅は、この国に一頭しかいない。だから、騅と呼ぶだけで、それはあの馬のことなのだ。私は、あの馬を騅と呼ぶであろう、、、!」
そう言って、彼は地面に大きく「騅」の字を書いた。
騎士は、大いに笑った。
「絵のように、面白いな。この国の文字は、、、」
項羽もまた、笑った。
二人の笑いは、尽きなかった。それからも、多くのことを二人は話した。
ふいに、項羽が真顔になった。
彼は、やがて故国で王となるであろう騎士に、問うた。
「、、、いずれ、お前はこの国に攻め入るか?」
騎士は、少し考えた。
項羽は、彼に言った。
「私が、お前ならば、攻めずにはおられぬ。」
それは、若い彼らにとって、当然の行為であるように思われた。
騎士は、もう少し考えた。
それから、首を横に振った。
彼は、言った。
「もし私に多くのヘラスの戦士がいれば、必ず攻め入るであろう、、、」
騎士もまた、雄大な征服欲を内に秘めているのは、項羽と同じであった。
しかし、彼は続けた。
「― だが、故国での我らは、大海の一滴にすぎない。この国に攻め入るには、同士が少ない。私は、数少ない同士を率いながら、現地の王として生きていくであろう。やがては、我らも現地の民と一体化していかざるをえない。それは、少数者の運命なのだ。」
彼の故国では、ヘラスの民は支配者であったが、その数はごく少数であった。すでに、本土のような市民が団結して作る活力ある社会を作ることは、できなかった。やがて、彼らは豊かな文化を現地に残した後で、消え去っていく運命にあった。
少数者でしかないと言った若い騎士の表情は、少し淋しそうであった。
項羽は、彼に同情した。
彼は、騎士に言った。
「― だが、私がお前と同じ魂を持っているではないか!」
それから、強い声で彼に話し掛けた。
「この後、私たちが遠く離れても、同じように夢を追うであろう。同じように、走り続けるだろう。私は、この国に住む誰にも従うことができない。私はずっと、一人で走っている。私たちは共に、数少ない者なのではないか?」
騎士は、答えた。
「そうだ。だから、私はお前に会えたのが、嬉しいのだ!」
二人は、哄笑した。
騎士は、項羽に言った。
「お前も、この秦の王になったら、大王のように夢を追ってみろ。お前は、そうしなければならぬのだ。それが、大きな気概を持った者の、宿命なのだ。」
項羽は、答えた。
「― 確かに!」
項王となろうとしていた、若き男であった。
彼は、今や夢で胸を膨らませようとしていた。それは、もはや中国の世界すら超えてしまうものであった。この日、彼は西方の騎士と語り合うことで、自分の魂の正しさを知った。そして、その魂は、ますます大きくなるばかりであった。

語り明かした翌日、騎士は別の馬に乗って、地平線の彼方へ去った。
「さらばだ!」
見送る項羽は、彼から渡された騅に打ち乗っていた。まるで彼が乗ることを待っていたかのように、馬と主の動きはたちまち一体となった。これこそ、天下に卓絶した彼が待ち望んでいた、天下に比類なき馬であった。
騎士は、西の故国に帰っていった。
この頃、パミール高原の西では、ギリシャ人のバクトリア王国が始まっていた。古代のバクトリアとはヒンズークシ山脈からオクスス(アム・ダリヤ)川にかけての土地で、だいたい現在のアフガニスタン北部に相当する。この土地はチンギスハンの破壊によって壊滅的に衰え、以降復興することもなく、今は哀しいことに混乱の最中に陥っている。だが歴史時代においては数多の川の流れが平原を潤す、屈指の豊かな土地であった。
このバクトリアはもともと、アレクサンドロス大王の帝国を受け継いだシリア王国の一州であった。だが現地のギリシャ人は遠いシリア王の支配を脱して、中央アジアの独立を試みた。歴代のバクトリア王は、隣接するシリアやパルティアと激しい戦いを続けていた。
騎士の正体は、あのバクトリアの王子であったろうか。
シリア王アンティオクスをして、この息子がいるからこそ父王の独立を認めようと言わしめた、王子がいた。
彼は、やがてインドにまで征服の手を伸ばし、「不敗」(アニケトス)の称号を得た。
最果てのギリシャ人王国バクトリアの征服王、デメトリウス一世。
騎士は、その若き姿だったのであろうか?― それは、わからない。
しかし、「不敗のデメトリウス」がインドを征服したことは、中央アジアとインドが一体化するきっかけを作る結果となった。この道を通って、やがてギリシャ人王朝の版図を受け継いだクシャーナ王朝の時代に、仏教が中央アジアにまで広がることとなる。北に広がった仏教は北伝仏教すなわち大乗仏教であり、それはやがて中国を通ってはるか東の日本の人民の心までを、征服してしまったのであった。

          

各章アーカイブ

           
第一章 開巻の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 皇帝の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


           
第十章 垓下の章



終章~太平の章