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二十八 胡亥死すべし(1)

(カテゴリ:楚滅秦の章

沛公の武関侵入前後の出来事について、『史記』の秦始皇本紀と高祖本紀の両者には食い違いがある。

秦始皇本紀においては、趙高に対して沛公の方から使者を送って内通しようとした、と書かれている(沛公、、、武関ヲ屠リ、人ヲシテ[趙]高ト私(わたくし)セシム)。すなわち、沛公は武関を取った後で、趙高をそそのかしたというのである。
一方高祖本紀では、沛公に対して趙高の方から天下を分け取りしようと持ちかけた、と書いている。だが沛公はその言を信じず、張良と共に武関攻略を始めたと書かれているのである(趙高、、、人ヲシテ来サシメ、分ケテ関中ニ王タランコトヲ約サント欲ス。沛公、以ッテ詐(いつわ)リと為シ、乃(すなわ)チ張良ノ計ヲ用イテ、、、武関ヲ襲イ攻ム)。
この両者の伝記の矛盾は、なぜ起ったのであろうか。
思うにこれは、歴史書がどちらの側に味方して記述をしようとしているかの違いでは、ないだろうか。秦朝の視点から、書かれているのか。それとも、沛公すなわち後の高祖の視点から、書かれているのか。
少なくとも、言えることがある。
漢朝正統観に立つ司馬遷にとって、高祖すなわち劉邦は、天下を取る運命にあった人物でなければならない。
ゆえに、高祖本紀において。高祖は一貫して有徳の人間として書かれている。有徳の人物であったゆえに、最終的に王朝を開くことができた。これが、司馬遷の倫理的歴史観であった。
その高祖が奸悪な趙高と取引した、などと書くことは、いかにも都合が悪いことではないか。
高祖本紀の記述は、高祖の徳を強調する司馬遷の視点に沿った内容であるといえよう。
一方で、秦始皇本紀は、おそらく秦朝の遺された記録を基礎に書かれている。そのため、司馬遷の意図を越えて、秦の記録に残っていた事態の真相の一部が図らずも垣間見えてしまっているのかもしれない。
真実は、わからない。
だがしかし、沛公には沛公として一刻も早く秦朝を除きたいという意図があった。そのために趙高をそそのかしたのは、計略として十分に考えられることである。有徳者としては眉をひそめる行為であっても、武将としてはごくありふれた調略である。
一方趙高は趙高として、自分が生き残るために敵と取引しようという意図は、この頃十分すぎる程にあった。
両者には、両者の思惑があった。武関侵入の前後に、沛公と趙高との間で連絡があったことは、間違いない。

趙高は、二世皇帝胡亥を殺すことにした。
彼は、いつから殺そうと思ったのであろうか。
胡亥を幼少の頃から教え育て、彼から父のように慕われていた。趙高がいなければ、胡亥は何一つすることができない愚かな青年であった。
胡亥が自分の手の中に入ったことを知って、趙高は彼を二世皇帝に担ぎ出す陰謀を行なった。陰謀は成功し、胡亥は秦帝国を受け継いだ。趙高は皇帝を意のままに操って、敵を次々に葬っていった。公子扶蘇を除き、蒙恬兄弟を殺し、そして陰謀の協力者であった丞相李斯までを、五刑の罪に陥れて殺した。趙高は、中丞相となって秦の全権を奪った。
いつか趙高は、胡亥を除いて自分が皇帝になろうと考えていたのであろうか。
宦官として、生涯まともな人間となれない彼であった。世界への憎悪が、彼の中には渦巻いていた。彼の法家思想は、自分の憎悪を理由付けるのにふさわしい理論であった。彼は、法と暴力だけに頼って、全ての人間を恐怖で動かそうとした。
趙高にとって、胡亥などはどうでもよかったのかもしれない。例の「鹿を指して馬と為す」茶番劇も、自分が帝国の最高権力者であることを、百官に見せ付けるための儀式であった。ついに、宦官の趙高は秦帝国を乗っ取ったのであった。二世皇帝などは、すでにあって無きが存在であった。
これまで趙高は、法家思想が教えるとおりに、法の暴力だけを用いて帝国を動かして来た。思想が正しければ、うまく治まるはずであった。誰一人として、自分に逆らうことができるはずもなかった。
だが現実は、秦軍は賊に降伏して、賊軍は今や関中に攻め寄せようとしていた。思想は、現実によって裏切られたのであった。もはや、これまでの猿芝居は続けることができなかった。
趙高は、ここに至って胡亥を殺す決断をした。自分が生き残るために、この子には死んでもらうのである。この子に、二世皇帝として敗北の罪を全て持って行かせる。秦帝国もまた、彼の死で終わりであった。
趙高は、思った。
「― 胡亥も、これまで皇帝としてずいぶんいい思いをして来ただろう。もう、あの愚かな子にはこれで十分だ。」
趙高は、飼い犬を絞め殺す思いであった。愛着がないと言えば嘘になるが、胡亥に忠義を守って自分が責任を取るなどは、趙高にとって全くつまらないことであった。
彼は、自らの家中の者を集めた。
趙高は、彼らに言った。
「陛下は諌言を聴かず、我ら一族に全ての罪をなすりつけようとしている。よって、陛下を廃すことに決めた。後嗣には、子嬰を秦王として立てることとする。」
これは、趙高が百官を惑わすための隠れ蓑であった。胡亥の罪を糾弾して廃し、代わりに子嬰を立てる。子嬰が趙高のための形だけの王であることは、明白であった。
彼の子飼いに、閻楽という者がいた。趙高によって、咸陽の令にまで上げられていた。
趙高は、閻楽に言った。
「陛下は、今望夷宮で斎戒している。兵を中に、入れることができるか。」
閻楽は、答えた。
「宮城は、禁衛の兵で守られています。中に入るための、理由が必要です。」
趙高らは、鳩首協議して、策を立てた。
まず、閻楽が咸陽の令という職務を用いて、大賊が宮城に侵入したので捕えるという偽りの命を下達する。これによって捕吏、兵卒を動員し、宮城に向かう。
それから宮城の兵たちに対して、賊を捕えるために捕吏を中に入れさせよと命ずる。もし疑って拒めば、長官を斬り捨てるのみ。
閻楽は、言った。
「宮中には、多くの郎や宦者がいます。乱入した後で手間取っていれば、陛下に逃げられるかもしれません。誰か手引きの者が、宮中に必要です。」
趙高は、そのために郎中令を陰謀に引き込んだ。彼が手引きして、閻楽の兵を皇帝のところまで連れて行くであろう。趙高は、大事を決するに当り、閻楽の母親を自分の邸宅に軟禁しておいた。二心を起こさせない、ためであった。趙高は、たとえ子飼いの者であっても、全く信用を置いていなかった。

          

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第二章 伏龍の章


           
第三章 皇帝の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


           
第十章 垓下の章



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