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三十 覇王残虐(1)

(カテゴリ:楚滅秦の章

二世皇帝三年の、秋以降の事件の推移を確認しておこう。


七月 項羽、章邯と殷墟で会い、盟約する。
   沛公、南陽郡守を降す。
八月 趙高、二世皇帝を殺す。
   項羽、司馬欣・董翳を上将軍にする。
   趙王歇、国に留まる。
   陳餘、逃げて南皮(なんぴ)に居る。
   沛公、武関を破る。
九月 子嬰、王となる。
   沛公、藍田を降す。
十月 項羽、諸侯の兵四十万を率いて、行く行く地を略定する。
張耳、楚に従う。
・・・

秦に向けて行軍する項羽は、勝ち誇る大軍となっていた。
その数、四十万。
各国の諸侯が、項羽の武威を畏れて彼の後ろに従っていた。
趙王国では、趙王歇(あつ)は本国に留まり、張耳が項羽と共に進んだ。
陳餘は、南皮にいて己の殊勲を誇っていた。蒯通と組んで秦を降す功績を挙げた自分は、必ずや戦後に大きな恩賞が与えられるであろうと、強く信じていた。
斉王国からは、田都・田安の両名が項羽に従っていた。斉王の田市は、置いてけぼりであった。田市の一族で斉の宰相の田栄は、項羽を怒らせたという取り返しの付かない過失を犯した。彼ら一族は、やがてその報いを受けるであろう。
燕王国からも、将軍の臧荼(ぞうと)が従った。
楚の卿子冠軍は、そのままが項羽の軍であった。
当陽君、黥布。彼の旗下の将、蒲将軍。
番君、呉苪(ごぜい)。
彼らはそれぞれ独立した一軍を率いる将であったが、今や全く項羽の指揮下に組み込まれていた。
そして龍且、季布、鍾離昧(しょうりばつ)といった楚軍の勇将たちもまた、すでに項羽を主君のごとく仰いでいた。
項羽は、事実上の覇王であった。それは、誰の目にも明らかなことであった。
彼の旗下に集う江東の子弟たちにとって、項羽はすでに項王であった。
いや、もっと上の存在であった。すなわち、神であった。
江東軍の兵卒たちは、彼の下で奇蹟のごとく勇戦し、自らも信じられないような奇蹟の勝利を何度も勝ち取った。もはや、項王に付いて行くこと以外に、兵卒たちは考えることがなかった。彼の進む道は、正義の道であった。彼の放つ言葉は、全て神の言葉であった。兵卒たちは、神の軍団として自らの強さと義(ただ)しさを、確信していた。
行軍の途上で、醜いことが起こり始めた。
函谷関に向けて行軍していたのは、諸国軍だけではなかった。
降伏した、二十万の秦兵。
この大軍もまた、西に向かわされていた。項羽は彼らに命じて、秦を攻める先兵として前に出て戦わせようとしたのであった。無理もない。降伏した軍は、二心無きことを示すために、かつての味方を進んで攻めなければならないのである。それは、戦場の掟であった。
だがしかし、秦兵にとっては裏切られた思いであった。
章邯や司馬欣は、配下の秦兵に一切告げることなしに、降伏してしまった。配下に告げれば、必ずや殺されるからであった。秦兵は、ある朝突如自軍が敵の手に陥ちたことを、知った。そして、楚軍の軍吏と兵卒が乗り込んで来て、自分たちを支配するようになった。今や、故国に率先して攻め込み、楚への忠義を示せという。あまりの、無残な命令であった。
「― 勝ったところで、秦は亡ぶだけだ。だが、、、負けたならば?」
「― 俺たちは、責任を取って殺されるだろう。それは、もう仕方がない。」
「― 関中に残した、俺たちの家族は?」
「― 裏切り者の家族として、秦が殺すだろう。」
秦の兵卒たちは、めいめいがこのように囁いて、悲嘆に暮れるばかりであった。
この敗残の秦兵たちに、楚の吏卒が虐待を加えるようになった。
「行軍の最中に、べらべらしゃべるんじゃねえっ、秦人!」
監視の楚兵が、秦兵を戈の先で思い切り殴り付けた。
秦兵は、殴られて地に倒れた。
頭を割られて、血が吹き出した。苦痛で、兵はうめいた。
周囲の秦兵が、怒りを見せて楚兵に振り向いた。
殴った楚兵が、不敵な笑いを見せて言った。
「お?何だ、その目は?― 殺されたいか?」
同じ監視の楚兵たちがやって来て、秦兵に対して弩(いしゆみ)を向けた。
秦兵は、行軍の際に武器を没収されていた。反乱を、防ぐためであった。彼らには、剣も弩も与えられていなかった。
楚兵は、挑発して言った。
「これまで、散々俺たちを虐待しやがって― その報いが、今来たのよ。お前ら悪の秦人を、正義の項王が亡ぼしたわけだ。お前たちは、これから罪を償わなければならん立場だ、、、悪が、正義に刃向かう権利などないわ!」
彼の後ろにいた楚兵の一人が、笑いながら弩を発射した。
秦兵の一人が、胸を射られてうめき倒れた。
それを見た秦兵たちが、ついに楚兵たちに殴りかかった。
「おのれっ、秦兵めが!」
素手と剣との戦いが、始まった。
行軍は、大混乱に陥った。
人間と人間は、敵と味方に分かれると、もう和解できない。
人間は、憎悪という感情を大きく膨らませることができる動物である。
仲間に対する愛ならば、獣たちでも持っている。だから、愛が届く範囲は、残念ながら狭い。人間といえども、同様であった。多くの宗教家が普遍的な愛を説くのは、それが生の人間ではとても身に付かない難しい課題だからなのだ。
一方で、人間の敵に対する憎悪は、獣と違ってその範囲を知らない。なまじ想像力を与えられている人間は、見たこともない他国人に対してすら憎悪の感を懐くことができる。いったん他国人を敵であると想像したとき、人間は見知らぬ他国人に対してすら、殺意を懐くことができるであろう。それは、容易(たやす)い道であった。知らぬ異邦人を愛することは、難しい。だが、知らぬ他国人を憎むことは、少年から大人まで誰にでも容易いことであった。容易いことであるから、人間の集団は容易く憎悪を暴発させるのであった。
楚人は、秦人を憎んでいた。憎むことが、全ての楚人にとって正義となっていた。勝利した楚人が敗北した秦人に対して残虐を爆発させることは、水が下に流れるような勢いであった。
乱闘の輪は、どんどん大きくなる気配であった。楚兵は、勇躍して剣を振り回し、素手の秦兵を斬り付けていった。
「やめろっ、、、お前たち、ここを、立ち去れ!」
郎中の韓信が、馬に乗って駆け付けて来た。
彼は、楚の兵吏どもを叱咤して、秦兵から無理に引き離した。
韓信は、このとき行軍の監督に当っていたのであった。彼の到着がもう少し遅ければ、収拾が付かなくなるところであった。

          

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第二章 伏龍の章


           
第三章 皇帝の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


           
第十章 垓下の章



終章~太平の章