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三十三 秦の滅亡(2)

(カテゴリ:楚滅秦の章

沛公軍が駐屯した覇上は、驪山の西の麓にあって南から関中平原に入る口であった。

沛公軍の兵数は、十万。
沛公軍は、ここに留まってあえて咸陽を攻撃せず、使者を送って秦の降伏を待った。
咸陽宮では、最後の朝議が開かれていた。
秦王は、子嬰。
すでに、皇帝の称号は捨てられていた。
群臣の中には、徹底抗戦を主張する者もいた。
「咸陽城に籠れば、まだ戦えるはずだ、、、ここは、天下の大都城ではないか?」
卿の一人が、言った。
だが、財政を司る治粟内史が答えた。
「残念ながら、糧食の備えが城中にはほとんどありません。」
卿は、不審に思った。
「どうしてだ!都に籠城の備えが無いなど、おかしいではないか!」
治粟内史は、答えた。
「先帝、、、いや失礼、あの胡亥めは、己の楽しみのために多数の狗馬禽獣を養っておりました。戦況が悪化したにも関わらず、獣どもには相変わらず腹一杯食わされる命が下されていたのです。その結果、いつの間にか蓄積されていた糧食にまで、手が付けられる結果となりました。先日調べたところ、籠城のための食はあらかた獣どもに食い尽くされてしまったもようです。」
卿は、がっくりとうなだれた。
次に軍政を司る、太尉が言った。
「西の蛮族は、古来より秦の威徳に従う者どもであった。王はよろしく朧西に遷都なされて、捲土重来を計られよ。」
だが、彼の横にいた郎中令が聞いた。
「戦の指揮は、太尉がなされるのか?」
太尉は、言葉を濁した。
「、、、それがしは、軍制の計画が担当である。軍の指揮は、我が担当ではない。」
郎中令は、言った。
「すでに、章邯も楚に降ってしまった。もはや、楚軍と戦うべき人材は、宮中に残っておらぬではありませんか、、、」
百官は、頭を抱えるばかりであった。
すでに、覇上の軍に加えて東からも大軍が近付いていた。
状況は、万に一つの希望もなかった。
百官は、もはや意見を出すことができなかった。
全ては、王の決裁に任されることとなった。
子嬰は、思った。
(― あの大秦帝国は、どこに行ったのだ?)
彼は、どうして戦国時代の覇者となった最強国がこんなところまで追い詰められてしまったのか、怪しんだ。
(建国以来、時として敵に敗れることはあっても、国を喪うことは一度として無かった。それが、今や諸国全てが秦に離反して、咸陽に追い詰められている。これは国の命数が尽きたとでも、言うのであるか?)
子嬰は君主であったが、自分の地位について醒めていた。しょせんは、趙高によって据え付けられた飾り物の王であった。彼が己の矜持のために勇躍して、最後の抗戦のための号令を下すためには、彼は胡亥と趙高の行なった権力の狂気を横で眺めすぎていた。
(もう、降ってもよい。だが、敵の怒りだけが、恐ろしい―)
これが、子嬰の偽らざる心境であった。これまで秦によって搾りに搾られ続けて来た関東の諸国が、秦にどのような報復を行なうか。秦人は、それを恐れていた。もし秦人に対する苦痛が抑えられれば、自分の命を捨てても構わない。子嬰は、王としてすでに覚悟していた。

咸陽城の郊外に、軹道(しどう)という亭があった。
十月某日、ここに沛公と側近の一団が、陣営を組んで待っていた。
沛公は、中央の席に端座していた。
横に、張良が控えていた。
沛公は、聞いた。
「本当に、来るんだろうな?」
張良は、答えた。
「、、、必ず、来ます。」
それから、張良は沛公に念を押した。
「悠久の歴史を代々継いで来た、偉大なる王家です。決して、礼を失しないように―」
沛公は、ぶっきらぼうに答えた。
「わかったよ。」
初冬の、うららかな昼下がりであった。
やがて。
咸陽城の方角から、一台の車が白馬に曳かれてやって来た。
装飾も何もない、木を組んだだけの素車であった。
白馬に、素車。
これは、喪に服した時の乗車の礼であった。
すなわち、車に乗る主人は、死を悼んでいるのであった。
誰の、死か?
車が近づくにつれて、主人の姿がはっきりと見えるようになった。
「― 秦王、、、」
沛公の側近たちは、うめいた。
車の主人は、子嬰であった。
首に、組(そ)を結わえてあった。すなわち、首括るための縄であった。子嬰の、降伏して絞首されることを望むという意思の表現であった。すなわち、死とは秦王の死であり、すなわち秦という国家の死であった。
軹道において、秦王の子嬰は楚の沛公と会見した。
子嬰は、沛公に璽(じ)・符(ふ)・節(せつ)を引き渡した。璽とは玉璽であり、あらゆる律令と詔に必ず押されなければならない。符とは割符であり、軍権を委任された将軍はその片方を必ず与えられなければならない。節とは旗であり、君命を受けて他国に使いする者は必ず持たなければならない。璽・符・節は、すなわち最高権力の象徴であった。
沛公は、無言でこれを受け取った。
子嬰はうなだれて深く礼し、それからさめざめと泣いた。
ここに、秦は滅亡した。始皇帝の死から、わずかに三年と余月の後のことであった。
子嬰を決断させた背後には、きっと張良らの働き掛けがあったのであろう。降伏後のことが保障されなければ、たとえ追い詰められていたとしてもどうして敵に身を委ねることができるだろうか。子嬰がこうして自ら降ったことには、秦人に対する寛大な処遇を願う必死の思いが込められていたはずである。
これから後のことは、沛公に任された。
沛公は、受け取ったこの関中で、いったい何を行なうのであろうか?

          

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