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三十五 法三章(2)

(カテゴリ:楚滅秦の章

沛公は、言った。

「ここに集まった父老たちの、これまでの患い、それは―」
彼は、秦人たちを見回した。
誰もが、無表情であった。秦の地に住む民は、笑っても泣いてもならない。そのように、昔からお上に告諭されて来た。人民が自発的に集まれば、どのような理由であれ棄市(さらし刑)とされる。人民がお上を風刺すれば、どのような内容であれ三族を殺される。秦の人民は、ただ国のために働き、戦うことだけを教えられ続けて来た。いつしか、彼らは笑うことも泣くことも怒ることも楽しむことも、そのような心中の意見を表情に出すことすら、忘れ去ってしまっていた。
沛公は、彼らに必要な薬が何であるかを、見て取った。
彼は、言葉を続けた。
「秦の苛酷な法は、民の患いであった。秦の民は、法に怯え法に操られて、これまで生かされてきた。我は、これを改めたい。あなたたち父老に、約束しよう。我が関中の王となれば、必ずや法の患いを民の上から除くだろう― 見せよ、我が法を!」
沛公は、振り返って命じた。
控えていた樊噲と夏候嬰が、前に進み出た。手には、大きな旗幟を持っていた
二名は、沛公の後ろで旗幟を広げた。
沛公は、父老たちに向けて、宣言した。
「― これが、我が国に改める法。これ以上でも、これ以下でもなし!」
沛公の赤旗に、墨で大きく条文が書かれていた。

殺人者死。

傷人及

盗抵罪。

すなわち人を殺せば死罪であり、人を傷害し、あるいは盗めば、罪に抵(あ)たる。
どんな未開の部族でも持っている、最も単純な法であった。
「これが、我が政道である。各人、よくご記憶なされよ。」
沛公は、莞爾(にこり)とした。
彼の横には、蕭何が座っていた。
律令を知り尽くしている蕭何のような官吏から見れば、法三章などは国家組織を知らぬ者の放言と写っても仕方がない。現に、この沛公の約束の内容を後で官吏たちに説明したとき、そのほとんど全員が主君のあまりの無知さに、顔をしかめるばかりであった。
だが、蕭何の印象は、違うものであった。
(― これは、何という宣言であろうか。さすがに、沛公は大人物だ!)
法三章。
何と、分かりやすい言葉であろうか。父老たちの前で、それを宣言した。沛公は、最初の民との接触で、民の患いの根源を察知してそれを取り除くことに気を配ったのであった。ただごとではない、政治的手腕であった。
(三章の法は、よく考えれば全ての律令の基礎にある法だ。秦の細々とした法規は、いわば三章の法の細目でしかない。よく官吏が動けば、三章の法でも郷里は十分に治まるであろう―)
法の精神を洞察できる蕭何は、やはり官吏の中の官吏であった。
彼は、沛公を見た。
沛公は、相変わらず笑っていた。彼の竜顔が笑うと、人を頼らせずにはおられない魅力があった。
蕭何の顔にもまた、笑みがこぼれた。仕掛けた側は、和やかであった。
彼らの前にいる父老たちは、相変わらず答えることがなかった。
しかし、沛公には分かった。
(声には出さぬが、すでに心は動いている。これで、俺の勝ちだ。)
沛公は、今度こそ高らかに哄笑した。
父老たちは、全員ひれ伏して沛公に礼した。後は、宣言が本当であることを、郷里に示すばかりであった。
父老たちに宣言してから時を措かずに、官吏たちが諸県の郷里に派遣された。
各々の郷里に対して、新しい政道が告諭されていった。
やがて、郷里から次々に牛やら羊やら酒食やらが、贈られてきた。
しかし沛公は、これを受け取らずに言った。
「先に申したとおり、我が軍の糧食は、満ち足りている。郷里が我が軍のために費やす必要などは、一切ないぞ。」
この言葉が、さらに大きな反響となって帰って来た。
旧秦の官吏たちは、郷里に回ってこれほどまでに温かい目で見られたことは、初めてであった。
「我らは占領軍のために動いているのに、以前よりもずっと受け入れられているようだ。」
「これまで郷里に入るのは、敵地に踏み込むようなものであったが、、、」
官吏たちは、不思議な出来事を見るように、互いに語り合った。
政治が行なわれるのも、法がよく敷かれるのも、まず最初に支配者への信任が先立たなくてはならない。支配者への信任がなければ、車一つ動くこともなくなるであろう。こうして沛公は、関中に入って大きな信任を受けることに成功した。旧秦の官吏は沛公の勢力と一体化し、人民は沛公がこのまま支配者となることを望むようになった。
沛公は、予想をはるかに上回る反響を受けて、一つの決意をひそかに固めた。
「― こうなれば、項羽と駆け引きだ。俺にも、勝機がある。」
この頃、史書に鯫生(そうせい)という人物が出現する。
鯫(そう)とは雑魚のことであるから、一般的な解釈として鯫生とは沛公に取り入った小人物のことであるとされている。解が姓で、解生とも言われる。おそらく酈生などと同じ、沛公に近づいた弁舌の士か何かだったのであろう。しかし別伝では、鯫が姓であるともいう。どちら正しいのかは、よく分からない。
とにかく、この鯫生が沛公をそそのかしたと言う。
「秦の富は天下に十倍で、地形は堅固です。聞くところによると、章邯は項籍に降ってから雍王の号を与えられています。すなわち、彼に関中の王を予定しているのです。項籍が来れば、きっと沛公は関中を得ることが出来なくなりましょう。急ぎ、兵を遣わせて函谷関に向かわせ、諸侯の軍が関内に入ることを防がれよ。そうして時を稼いで、おもむろに関中で兵を徴募し、項籍を防がれなさいませ、、、」
沛公は、鯫生に言われて函谷関を塞いだという。
だが、鯫生に言われなくても、沛公はもはや関中を自らの手に入れようと思っていたであろう。彼が兵を動かしたのは、あるいはまず自分の軍事力を見せてから、楚王の約束を取り出して項羽と交渉するつもりであったのかもしれない。すでに沛公は、項羽に譲るつもりは失せていた。
ところが、沛公の意図は簡単に突き崩されてしまった。

          

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第十章 垓下の章



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